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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜天野の里の史跡:横笛の恋塚外伝(横笛の悲恋物語の後日談)
     サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編  
 
前回のページでは、天野の里にある、『横笛の恋塚』にまつわる悲恋物語をご紹介しました。
斎藤時頼(滝口入道)と横笛の悲恋物語は、元々は『平家物語』にあるお話ですが、これを題材にして高山樗牛は、1894年に『滝口入道』という小説にして発表しています。
 
では『平家物語』に描かれている斎藤時頼(滝口入道)と横笛の悲恋物語は、果たして史実なのでしょうか?
そもそも『平家物語』は、鎌倉時代に成立したと思われる、平家の栄華と没落を描いた軍記物語で、平家の栄華から滅亡までを追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を平易で流麗な名文で見事に描き出し、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しをはじめとして、広く知られています。
そして平安時代は、宮中で男女がおもむくままに恋愛を謳歌し、多くの文学作品が世に出た時代。
つまり、そんな時流に乗って記された鎌倉時代の『平家物語』も単なる歴史書ではなく、文学的な要素を多くもつ当時の小説=創作されたシーンを多く含んだお話と言ってもよいのでしょう。
なので(滝口入道)と横笛の悲恋物語の結末には、多くの説が今に伝えられています。
 
平家物語』がどれほど創作した内容が含まれているかは別にして、明らかに創作された小説にして発表された高山樗牛の『滝口入道』における横笛の悲恋物語のてん末は、
斎藤時頼(滝口入道)が女人禁制の高野山清浄心院へ居を移したことを知った横笛は、悲しみのあまり病に伏せ亡くなった。横笛の死を聞いた滝口入道は、ますます仏道修行に励み、その後高野聖となった。」というもので、桂川に身を投げたとか、天野の里時頼を思い焦がれ続けて亡くなったというものではありません。
 
そんな訳で今では、横笛が亡くなって後の後日談まで言い伝えが残っています。
それが嘘か誠かは分からなくても、興味が有りますよね?有るはずです。
なので今回はその後日談についてご紹介します。
 
前回のお話の中では、
そるまでは 恨みしかど梓弓 真の道に入るぞうれしき
とそれに対する、横笛の返歌、
そるとても 何か恨まん梓弓 引き止むべき心ならねば
 
という2つの歌は、時頼(滝口入道)が高野山の清浄心院から、奈良の法華寺で尼になった横笛の元へ送った歌に返歌を返したことになっており、横笛法華寺で生涯を終えたことになっています。
 
ですが横笛の死については、他の説もあります。源平盛衰記では、17歳の横笛嵯峨野大堰川に身を投げます。そのことを知った時頼(滝口入道)大堰川に駆けつけます。彼女の遺体を火葬し、彼女の骨を自ら首にかけて、寺を供養して歩き、高野山の奥の院に卒塔婆を立てて、弔ったといわれています。
思うにこれは、横笛の死を時頼(滝口入道)も悲しみ、供養したことで横笛の魂は死して後に救われたというハッピーエンド的要素が後に加えられたのでしょう。
 
そして今回のメインテーマ、『横笛の悲恋物語の後日談』はここからです。
 
二人の悲恋物語は更に付け加えられ?いやこれが真実なのかもしれませんが、天野の里の残る伝承では、
時頼(滝口入道)が高野山の清浄心院に移ったことを知り、横笛が奈良の法華寺で尼になってしばらくすると、時頼(滝口入道)入道もまたある僧から天野の里横笛の話を聞き、彼女に歌を送ります。それが前回もご紹介した上記の2つの歌としているのです。
 
ある日、横笛は入道が高野山にいることを知り、想いを捨てきれない横笛が女人禁制の高野山に一番近い天野の里へ移って後に交わされた歌ということになっています。
 
イメージ 1
天野の里にある『横笛法尼供養塔』
 
 
イメージ 2
天野の里にある『横笛の恋歌』の歌碑
 
イメージ 3
古い沢山の五輪塔と地蔵菩薩の石版には、色鮮やかな花々が
 
その後も時頼(滝口入道)は、横笛に再度歌を送り、
高野山 名をだしに知らで 憂きをよそなる 我身なりせば
横笛はそれに答えます。
やよや君 死すれば登る 高野山 恋も菩提の 種とこそなれ
病が重くなった横笛は、生涯入道のことを想いながら、わずか19歳でこの世を去り、天野の里の人々は、彼女を弔うために、庵のそばに塚を作りました。
というのが天野の里に残る伝承です。
その後、入道は阿浄と称する高野山・大円院の8代住職となります。
これで二人の悲恋物語の後日談はようやく終結すると普通は思うのですが、そうではなく、横笛時頼(滝口入道)への思いは命がつきた後もこの世に残り続けるのです。
 
ある日、横笛時頼(滝口入道)は、大円院の庭の梅の木に鶯(うぐいす)がとまっているのに気がつきます。そして鶯は阿浄を見つめるようにさえずったかと思うと舞い上がり、急に弱々しくなります。
そして井戸の中へと落ちてしまいます。阿浄は思わず「横笛」と叫び、井戸へ駆け寄ります。その鶯の姿が、入道には横笛に見えたのでした。
注釈:ここで鶯の鳴き声を思い出してください。鶯の鳴き声は『ホー、ホケキョ。』ですよね。これを漢字にすると、『法、法華経。』です。
生前に尼となった横笛は、同じく仏道に励み、阿浄律師となった時頼に対して鶯に自らの魂を宿し、「目の前にいるのはただの鳥ではなく、私(横笛)ですよ。」と知らせるために仏門に身を置く時頼(滝口入道)に分かるように、最後のお別れを告げたのでしょう。)
 
阿浄律師はその鶯の亡骸を胎内に納めて、阿弥陀如来像を彫ります。この像は、鶯阿弥陀如来像として大円院の本尊となり、梅の木を鶯梅(おうばい)、井戸を鶯井(うぐいすい)と呼んで、今も大切にされており、滝口寺のお堂には、入道と横笛の木像が安置されているそうです。
 
つまり、「この世では結ばれない二人でしたが、心は永遠に結ばれた。」というのが『横笛の悲恋物語』の最終的な結末になったのです。
ということで、悲恋が悲恋のままで終わらず、魂となって後にこの上もないハッピーエンドで幕を閉じるのですが、
これは、この世で救われなかった人々の魂も、あの世や来世では救われるという仏教の教えそのものです。
言いかえれば、仏教の教えに沿うように悲恋物語が書き換えられたとも言える?
「いやいや、そこまで言ってしまえば美しい、『横笛の悲恋物語』がだいなしじゃない!」と、女性陣からお叱りの声が聞こえてきそうですが・・・・・・。
奈良の法華寺にある本堂には、かつて南門を出て左側の飛地境内には、横笛堂 があったのですが、赤門の東側に移築されている。『平家物語』や高山樗牛の小説『滝口入道』で知られる悲恋物語のヒロイン・横笛が尼となった後に住んだとされる建物。横笛が手紙の反故(ほご)で自らの姿を作ったという伝承のある張り子の横笛像(高さ約30センチメートル)が安置されていましたが、戦乱の中で失われたのでしょうか?桃山時代に建築された本堂に移され、光明皇后がモデルという木造十一面観音立像(国宝)、乾漆維摩居士坐像(重文)と共に安置されていているそうです。
注釈:反故ほご)とは、書画などをかきそこなったりして,いらなくなった紙(ほごがみ)のことで、このお話の中では、横笛が時頼への思いをしたためた恋文の書き損じといったところでしょうか。
また、それとは別に横浜市中区にある『三渓園』には、物内に横笛の像が安置されていたことから横笛庵と呼ばれる草庵があり、かつてはその建物の中にも『横笛の像』が安置されていたそうです。
しかしその像は戦争の際に失われてしまいましたそうなのですが、 『三渓園』の説明によれば、平清盛の従者である斉藤時頼(滝口入道)と悲恋に終わった横笛自身が、他の人々の恋が実ることを願って、時頼から寄せられた千束の恋文で作った己の像は、縁結びの像」として知られ、ステキな恋をかなえたい多くの女性が、こぞって訪れたと言われます。

 『三渓園』は、明治の実業家:原富太郎が、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都5棟、和歌山3棟、神奈川2棟、岐阜1棟、東京1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を移築した庭園です。
三溪園の土地は、原富三郎三渓の養祖父である原善三郎が1868年(明治元年)頃に購入したもので、単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっているそうです。園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、全て京都など他都市から移築した古建築であり、中には現地で荒廃していた建築物を修復して移築したものも含まれているそうです。
原は事業のかたわら仏画、茶道具などの古美術に関心を持って収集し、平安時代仏画の代表作である「孔雀明王像」(国宝、東京国立博物館蔵)をはじめ、国宝級の美術品を多数所蔵し、日本の美術コレクターとしては、益田孝(鈍翁)と並び称される存在だったとか。彼は古美術品のみならず室町時代の旧燈明寺三重塔をはじめとする京都ほか各地の古建築を購入して移築、庭園も含めて整備を進めていった。1906年(明治39年)5月1日に市民に公開し、その後も建造物の移築は続けられたようです。
ではなぜ横笛の悲恋にまつわる伝承とは係わりのない横浜市中区にある『三渓園』に、法華寺の本堂に安置されている横笛像と同様の像が、横笛庵と呼ばれる草庵に有ったのでしょう?
 
『三渓園』にある建物の多くは、重要文化財ですが、この建物だけは何の指定もなく、敢えて言えば数奇屋建築ではありますが、お茶室にも使えますし、芭蕉庵や楽柿舎のような類の”侘び住まい”といえるそうです。
『三渓園』にはその名の通り、三本の渓流が大池に注いでいて、初夏にはホタルが飛び交う東北(辰の方角)の渓流が最も大きく、その畔に、ぽつんと横笛庵が建っているとか。
平安時代、女性の恋心はホタルになって体外を飛んで出ると思われていたそうで、例えば和泉式部は、
   ものおもへば 沢のほたるもわが身より あくがれいづるたまかとぞ見
(大意思い人のことを思い悩みながら沢のホタルが点滅し、無数にとびちがっているのを眺めていた。ふと気がつくと一匹のホタルがふらふらと身の内からさまよい出たように思われはっとわが身に帰った。いま光りながら飛びさっていったのはホタルではなく、わたしの魂だったのだろうかと思った。)
 
という歌を残しています。
ですが三渓園に横笛像を安置した横笛庵があるのかについての説明はなく、ただ、この建物には「横笛像」が祀られていたので、”横笛庵”とよぶ、横笛像は戦争中に焼けてしまった。”と記されているだけだそうです。
 
法華寺の横笛堂にある30セントほどの小像は紙粘土で作られているようなのですが、お寺の案内では、横笛が時頼から戴いた手紙を使って、自身の像を形作った鎌倉時代の作・・・、と案内していますが、真偽の程は解らないとブログの管理人は紹介した上で、横浜市中区にある『三渓園』の横笛庵の小像写真と酷似していることに着目し、二体が同時に出来たか、法華寺像が有名であったから、似せた像が作られて三渓庵に祀られた・・・、
どちらかだと推察されています。
 
更にその背景として、「和紙を紙粘土にした民芸品は江戸時代各地で作られました。
法華寺も「紙張子/犬張子」人形を案内しています。
達磨人形も起き上がりこぶしも、赤べこ(会津)も紙人形です。横笛像はそうした民芸品に先行するものでしょう。」と付け加えています
私としてもこ記述に賛成ですが、更に私の推察を加えたいと思います。
現在の法華寺にある「横笛堂」は、今は宅地となった旧境内にあったものを、江戸時代初期に現在地に西向きで移築したものだそうです。
古美術や文化祭に深い理解とその存続を願って『三渓園』を創った原富太郎は、移築された横笛堂を自身の眼で見て感激し、横笛の物語にイメージを膨らませますが、それが元は別の場所に建っていたものが現在の境内に移築され、横笛像は本堂に納められたことを深く憂いたのでしょう。
その一方で自身の『三渓園』で平安の昔には女性の恋心は蛍になって体外を飛んで出ると思われていたその蛍が飛び交うのを見て、本家本元で横笛堂が創建当時のままに再建されていないのなら『三渓園』に創建当時の環境はこんなものだったろうと考え、ここに再現しようとふと思い立ったのではないでしょうか。
一言寺内のご案内 | 光明宗 法華寺には、「横笛堂は鎌倉時代。平家物語第10巻に登場する横笛(よこぶえ)が祈りを捧げたお堂。現存する法華寺の建物としては最古。」と紹介されていますが、江戸時代に別の場所から移築されたものだったんですね。再建時にその向きを西にしたのは、横笛の魂の安息を願い、西方浄土に向きを変えたのでしょうか?)
 
      
   奈良法華寺の横笛像       三渓園の横笛庵の横笛像
       (日本の古典平家物語/集英社より)          (三渓園の案内板より)          
 
私は学生時代を京都左京区で過ごしていますが、なぜ当時『アンノン族』と呼ばれた女性たちが京都の嵯峨野に必ずと言っていいほどおとずれのかを全くしりませんでした。ですが、今回の『横笛の悲恋物語』についての下調べを通して、その理由をやっと理解しました。
嵯峨野は横笛と時頼の切ない恋の舞台だったのですね。
 
今でも恋に恋する女性たちは祇王寺に、その門前の滝口寺に以前にも増して集っているのでしょう。
横笛も、祇王も、仏御前も、更には静御前も・・・・・、京都嵯峨野に残る伝承は全て悲恋物語です。
そして彼女たちに共通するのは美人でインテリで、和歌や踊り、音曲などに秀でていた事だそうです。
 紅葉が散り落ちて谷川を流れ落ちるように、歴史の大きなうねりに流された才女の女性たち。
 
美貌と知性を兼ね備えながら、その生涯は悲恋に終わるという美しも悲しい物語が女性の心を引きつけることは、武骨な私としても全く分からないわけではありません。
ですがそんな恋に憧れ、自分自身に置き換えて美しい恋をしてみたいと思うのなら、現実問題として2つの条件をクリヤーしなければなりませんね。
一つは美貌ですが、現代では持って生まれた容姿がそうではなかったとしても、エステや美容整形・先進コスメによって自身のものとすることは不可能ではありまえんよね。
ですがもう一つの条件、教養と美しい精神は日々これを磨かなければ、ただ恋に憧れるだけでは実現しません。
 
錦秋の横笛庵に思う ( その他趣味 ) - 仮想旅へ - Yahoo!ブログの管理人さんは最後に、「・・・・・そんな想いが、横笛庵がたいした草庵ではないものの、私達の心を掴んで離さない理由でしょう。」と締めくくっていますが、
悲恋であれ、シンデレラストーリ−であれ、二つ目の条件は必須です。
世の女性はそのことを努々(ゆめゆめ)疑うことなかれ。
一言:今回私のお話にお付き合いいただいた女性の方、今「偉そうに!」と思いました?だって私の当ブログでのネームは、『上から目線』ですから。でもとりあえず謝っておきます。「ごめんなさい。」)
 
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