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〜天野の里の史跡:なぜ天野の里に八幡神社が?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
そこでヒントとなるのが〜大畑才蔵の生涯(紀ノ川の用水工事の先覚者)〜でご紹介した内容、つまり和歌山県、室町時代に幕府の命で紀州国を守護したのは、晴和源氏を源流とする直系の武士である畠山氏だったということです。
八幡神社の神社としての性格として比較的よく知られているのが、武家の神として古くからあがめられているということです。
ではなぜ八幡神社は武家の神様なのでしょう?
八幡神 - Wikipediaには、「八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた・・・・八幡神は応神天皇の神霊とされたことから皇祖神としても位置づけられ、『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されており、天照皇大神に次ぐ皇室の守護神とされていた。・・・・このように八幡神は武家を王朝的秩序から解放し、天照大神とは異なる世界を創る大きな役割があったとされ、そのことが、武家が守護神として八幡神を奉ずる理由であった・・・・・・」などの記述があります。
また、源氏 - Wikipediaには、『源氏』の名前の由来は、「・・・・嵯峨天皇が生まれた子らに源姓を与えたことに始まる。皇室と祖(源流)を同じくするという名誉の意味をこめて与えられた。・・・・・」との記述があります。
以上の記述内容から、『源氏』が皇室と同じ祖(源流)持ちながら、八幡神は武家を王朝的秩序から解放し、天照大神とは異なる世界を創る大きな役割をもって信仰されたということです。
これを言いかえれば、「武家は天皇家と同じ出自を持ちながら異なる価値観の存在となるために、天照皇大神に次ぐ皇室の守護神とされる八幡神信仰が武家の間に広まったのです。
加えて和歌山県、室町時代に幕府の命で紀州国を守護したのは、晴和源氏が源流である直系の武士=畠山氏だったということから、天野の里の氏神もしくは産土神として八幡神社が建立されたのでしょう。
これで今回のテーマ、「なぜ天野の人々にとっての氏神もしくは産土神が八幡神社なのだろう?」に対する答えが出たことになります。
次回は和歌山に台頭した武士の歴史についてご紹介します。
天野の里にある八幡神社の彩色1
天野の里にある八幡神社の彩色2 |
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