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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜かつらぎ夏まつり 2015:浪曲河内音頭 吉良の仁吉物語で踊る〜
        サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編  
  
 
若い人に、「浪曲って知ってますか?」と尋ねたなら、「えっ、老曲?お年寄りの歌ですか?」なんて答えが返ってきそうですが、
『かつらぎ夏まつり』 での盆踊りでは、吉良の仁吉(きらのにきち)物語を河内音頭に乗せて、浪曲師:泉 敏榮 (いずみとしえ )さんがステージ上から生歌で熱唱しました。
 
【吉良の仁吉(きらのにきち)とは】(吉良の仁吉 - Wikipediaより
三州吉良横須賀(現・愛知県西尾市吉良町に没落武士の子として生まれた。無口だが腕っ節と相撲が強く、相撲の上での喧嘩で侠客の親分の寺津の間之助[1]に匿われたのがきっかけとなり、18歳から3年間を次郎長の下で過ごした。次郎長と兄弟のまで交わす仲となった後、吉良に帰り吉良一家を興した。
侠客の穴太(あのう)の徳次郎[2]が、次郎長一家(清水の次郎長一家)が世話をした伊勢の吉五郎[3]縄張りであった伊勢荒神山(こうじんやま)[4]を奪ったため、徳次郎の手下や岡っ引らの仲介をも断って、世に言う「神山の喧嘩(血闘)」に乗り込んだ。喧嘩で吉五郎側は勝利を収めたが、仁吉は鉄砲で撃たれた上、斬られて死亡した。享年28。
吉良の仁吉(きらのにきち)の人柄は、
義理に厚く若くして義理に斃れた仁吉は後世、人情物の講談浪花節浪曲)、演劇や数々の映画歌謡曲などの題材として よく取り上げられる存在となった。
仁吉物語の話のもとは、
荒神山の喧嘩に吉五郎側として参加した一人で後に旅講釈師となった松廼家太琉が、講談師の三代目神田伯山にネタとして当時の様子を伝え、更に伯山の講談を浪曲師の二代目広沢虎造採録して浪花節としたことで広く知られるに至った。
このため史実と作り話が混在して伝えられており、芝居や映画では仁吉は徳次郎の妹・お菊を妻に娶ったものの、吉五郎の助太刀(すけだち)のためにお菊を離縁したとされるが、仁吉には結婚歴はないため、後に創作されたものと言われる。
仁吉のお墓は
その一周忌に次郎長が太田家の遺族と共に建立したものが、今も生誕地の吉良町にある源徳寺真言宗)に残っている。荒神山観音寺(三重県鈴鹿市)に残る吉良仁吉之碑は、後世に二代目広沢虎造が建立したものである[4]。現在、吉良町では吉良三人衆(他に尾崎士郎吉良義央)の一人として、毎年6月に墓前祭を兼ねた「仁吉まつり」が行われている。
 
浪曲師:泉 敏榮さんのプロフィール
(いずみとしえ)
大阪府泉南市出身 誕生日:4月10日
血液型:B型 趣味:ダンス・歌・詩吟
昭和57年 関西カラオケ決勝大会優勝 シンガポール
昭和59年 関西カラオケ決勝大会優勝 タイ
平成11年 民謡入門
平成12年 第15回コロンビア全国民謡決勝大会
平成13年 第16回日比谷公会堂出演
平成18年 泉和子に入門
平成19年 浪曲初舞台
以後、NHKラジオ、ワッハ上方、国立文楽劇場、一心寺門前浪曲寄席、石切神社、大和郡山、岸和田波切ホール、ゆうゆう帝、高知、泉南文化ホール…出演  
 
浪曲河内音頭にのせた吉良の仁吉(きらのにきち)物語で踊る

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