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〜なぎなた競技の競技用なぎなたへと至る薙刀の歴史〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
剣道とは違って一般的にはなぎなた競技は知る人の少ない競技でありながら、これまで全くその基礎知識すらご紹介しませんでした。
なので動画を見ていただいても、何がなんだかわからなかったことでしょう。
にわか知識だけで理解できる競技ではないかもしれませんが、このページでは、
一般的に普及している剣道と比較することで少しでもなぎなった競技への理解を深めていただければと思います。
剣道の竹刀(しない)が日本刀に由来することは誰もが知るところでしょう。
では薙刀(なぎなた)はどうでしょうか?
一般的には日本刀が男子の武具であるのに対して、薙刀(なぎなた)は女性の武具という現代の常識があります。
薙刀が誕生した過程については研究が進められていないために未だにはっきりとは判明していないが、単純により間合いを大きく取れる太刀を求めた結果柄が自然と長くなったものだとする説から、奈良時代後期から鎌倉時代にかけて「手鉾(てほこ[4])」と呼ばれる、一尺(約30cm)から二尺(約60cm)程の刀身を比較的短い[5]柄に嵌めて用いる柄武器が存在しており、これが改良されたものが薙刀であるという説(→槍の分類:手鉾の項も参照)、また、大陸に渡って仏教を学んだ僧によって中国の長柄武器である大刀が伝えられ、これに倣って日本で作られたものが奈良時代から平安時代にかけて寺院の守護のために僧兵の武器として広く用いられており、これが薙刀の発祥であるという説もあり、その起源と発達過程については諸説存在する。
と紹介されています。
(一言:つまり、薙刀(なぎなた)の起源をたどれば、それは女性の武具として誕生したものではなかったのです。)
日本の戦場(いくさば)において武士の主な戦闘方法は遠距離から馬上で弓を射ることであったが、名乗りを上げて一騎討ちを行う際には手持ちの武器による接近戦も行われた。やがて、戦闘方法の変化から徒戦(かちいくさ[6])という概念が一般化すると、薙刀は武士から足軽まで広く用いられる主武器となった。
応仁の乱の頃より戦闘の主流が足軽による集団戦に変わると、“振り回す”形で使う武器は密集した隊列を組んで行う戦闘において不便であり、やがて槍に取って代わられていった。その後戦国時代に鉄砲が伝来すると長柄武器そのものが衰退し、薙刀は僧侶、婦女子の用いる武具となっていく。
(一言:つまり、薙刀(なぎなた)は密集した集団戦においては実用性を失って後に護身用や警備の際の武具として主に男性より非力な女性に用いられるようになったわけです。)
その後太平の時代が長く続くようになると、剣道が男子の心身鍛錬のためのたしなみとなっていったように、薙刀(なぎなた)は女性のための身鍛錬のためのたしなみとなって行き、現代に至っているのですが、悲しいかな現代では女性にとっても剣道が武道の主流になってしまっています。
格闘スポーツの武具としては、薙刀(なぎなた)があまりに長いということもその一因かもしれませんね。
さてここからが競技武具としての競技用なぎなたのお話です。
現在のなぎなた競技用なぎなたは、全長210〜225cmセンチで、重量は650gだそうです。
これに対して竹刀(しない)は、竹刀 - Wikipediaによると高校生用が全長117cm 以下で、男性用重量は480g以上、女性用重量は420g以上)、大学生・一般用がが全長120cm 以下、男性用は重量は510g以上、女性用は440g以上)だそうですから、
薙刀(なぎなた)は竹刀(しない)より約90㎝長く、200g以上重いということになります。
ただし、競技用なぎなたは竹刀(しない)のように全長の端にある柄(つか)を持つのでななく、全長の大部分を占める柄の中間部分を左右の手を離して持つので、全長や重さが即戦いの優位性や重量感につながるものでもないことは知っておく必要があるでしょう。
競技用なぎなたの構造
竹刀(しない)の構造
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