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〜能勢街道の一の鳥居の名の由来とお城?と能勢の妙見さんとの関係〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!遠出編
前回ご紹介した新名神高速道の橋が建設中の地点を過ぎるとすぐに一の鳥居の交差点に至ります。
この交差点は国道477号線が分岐し、能勢電鉄の一の鳥居駅がある場所ですが、何といっても眼前に見える城のような建物が目をひきます。
初めて見る者にとっては、それが何のために建てられた物なのかわかりません。
しかし、城のような物から視線を下に下げると、国道沿いの壁面上のフェンスには大阪青山大学という巨大な文字がならんでいることから、バカ正直、いや素直な人は、「はっはーん、あれって新設の大学なんだ。」と
思い込みます。
なおかつおまけに「あの青山学院大学と関係のある学校、もしくはそれをパックったネーミングの学校?」と反射的に連想しかけて、
「いや、そんなバカな。単純すぎる。」と思い直すことでしょう。
こうなると真実を追求するしかありません。
大阪青山大学 - Wikipediaによれば、
大阪青山大学は、大阪府箕面市新稲2-11-1に本部を置く日本の私立大学である。2005年に設置された。大学の略称は大阪青山(おおさかあおやま)。青山学院大学とは別組織で、大阪青山大学は、学校法人大阪青山学園により運営されている日本の私立大学である。
大阪府箕面市に主キャンパスである「箕面キャンパス」がある。
ようするに、城のような建物は、大阪青山大学に付属する大阪青山歴史文学博物館で、1999年4月に開館したものでした。
大阪青山歴史文学博物館には、
外観が城郭風の建造物をした博物館。約5000件以上の貴重な文化財を収蔵、展示している。なかでも「土佐日記」は国宝で、学術文献資料として価値がある。との記述があります。
ですがその博物館がなぜ城の形をしているのかについての記述は見当たりません。
単純に目立つからだけの理由なのでしょうか?
(注釈:土佐日記は平安時代に紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を虚構を交えて綴った日記文学のひとつです。紀貫之自身は男性ですが、ほとんどを仮名とし、書き手を女性に仮託して綴っていることから、その書体は草書のひらがな文字です。このように日記文学であること・紀行文に近い要素をもっていること・仮名による表現であること、などが、まだ文学が男性だけのものであった時代から、女性にもその門戸が開かれ、その後の女流文学の発展、具体的には『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』などの作品にも影響を及ぼした可能性は高い。)
ちなみに大阪青山大学には健康科学部(健康栄養学科・子ども教育学科・看護学)と、短期大学部(幼児教育・保育科・調理製菓学科)だけしかないそうです。
なので学生は大半が女子なのかもしれません。
次に、大阪青山歴史文学博物館がある『一の鳥居』という場所名ですが、
一の鳥居駅 - Wikipediaによれば、
この「一ノ鳥居」は阪神・淡路大震災で倒壊したものの、現在は近くのゴルフ場の入り口付近に再建されているといいます。
(一言:それじゃあまるでゴルフ場が神社であるかのようじゃないですか。)
妙見菩薩は、北極星を神格化した菩薩。尊星王あるいは北辰菩薩とも呼ばれる。国土を守り,災いを除き,人の福寿を増すとされ,星曼荼羅 (→北斗曼荼羅 ) の中心を占めることもあるが,単独で信仰されることも少くない。とあり、
「菩薩」とは、十界では上位である四聖(仏・菩薩・声聞・縁覚)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、通常は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている。との記述もあります。
お城のような大阪青山歴史文学博物館
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