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〜『兎原処女の伝説』って乙女は純心、求婚者はバカになれってこと?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!遠出編
今回は、『兎原処女の伝説(うないおとめのでんせつ)』をご紹介します。
先にご紹介している2つの伝説は川西市の伝説でしたが、この伝説は兵庫県芦屋市に残る伝説で、関係性はないようですが、平安時代においては、摂津国兎原郡におけるお話ですから、摂津国つながりだと思って下さい。
(ちなみに:ここで言うところの、『処女(おとめ)』は、現在私たちっが言葉としてつかう『処女(しょじょ)』とはだいぶニュアンスが違います。
英語のMiss.とは未婚者で、『処女(しょじょ)』は未だ男性との交わりのない無垢な女性ということですが、Miss.であっても、現代のように既婚者以上に経験豊富な女性も少なくない時代に生きる私たちが、ある意味不純な思いで使う言葉とは異なり、、『処女(おとめ)』は、その女性の心身のありようを示す言葉に他ありません。万葉集では、未通女や処女という言葉が度々用いられ、共に未婚の娘を意味する言葉として用いられているようです。、『処女(しょじょ)』が現代の意味で用いられるようになったのは、ごくごく最近のことのようです。昭和それとも明治でしょうか?
私が思うに、このような不純な言語の用いられ方は、過去の文豪がそうした用いようをしたことに始まるのではないかと。)
この伝説は、兵庫県にお住まいの方や、文学ファンには、ご存じな方も多いのかもしれません。 (一言:上記の3人による、『兎原処女の伝説』を題材にした歌については、後日ご紹介できれば???、と思っています。)
何はともあれ伝説をご紹介しますね。
【兎原処女の伝説】 (菟原処女の伝説 - Wikipediaより)
葦屋の菟原処女(うないおとめ)という可憐な娘がいて、多くの若者から思いを寄せられていた。中でも同じ里の菟原壮士(うないおとこ)と和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の立派な益荒男が彼女を深く愛し、妻に迎えたいと激しく争うようになった。処女が母に語らく「卑しい私のために立派な男たちが争うのを見ると、生きていても結婚などできましょうか、黄泉で待ちます。」と嘆き悲しんで死んでしまった。茅渟壮士はその夜、彼女を夢に見て彼女が愛していたのは自分だと知り、後を追った。菟原壮士も負けるものかと小太刀をとって、後を追った。
親族たちは集まって、この事を長く語り継ごうと、娘の墓を中央に、男の墓を両側に作ったという。
この伝説に対する私の感想ですが、「純粋な心を持つ美女に心を奪われた2人の男性が結婚を申し出てのちに激しく争ったことで美女は自殺すると、2人の男性は愛の深さを競うように後を追って自殺した。」なんて、美女の気立ての良さはともかく、求婚者の二人の行動はいかにもバカバカしく、とてもとても夢のある伝説だとは思えないのですが、万葉歌人や後の文学者にとってはこの上もない美談のように思えるのでしょうかね。
皆さんはどう思われますか?
最後に、『処女』の語源についてお勧めのページがあります。「処女(しょじょ)」 の由来と語源 – 由来メモの記述は。筆者のテイストが端的に効いていて面白いですよ。
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