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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜国城神社の宝大荒神、八幡大明神、春日大明神、愛宕大明神とは
        サブタイトル:オヤジブログは自由だ!初詣2016編  
  
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前回でのお約束として国城神社の5祭神のうち、本社の天照皇大神以外の三宝大荒神、八幡大明神、春日大明神、愛宕大明神について記します。
これらの祭神に関する記述はどれも分かりにくい記述ばかりなので、本ページではなるべく分かり易くご紹介したつもりです。
以下の四祭神の説明が理解できた時点で分かると思うのですが、どれも何らかの守護神です。なので主祭神の天照皇大神を守護・補佐する神々だと思われます。

それはそれとして前回の〜初詣:国城神社下の三平稲荷神社に狐さんが居ない三平の名の由来は?〜では、「三平稲荷大明神にあるのは本殿と思われる中に五つの祠(これは国城五社大明神でしょう)と、その本殿の右脇には石盤がご神体らいし付随する神社、それと金毘羅大権現の社と4体の石仏を祀る祠です。」とご紹介しましましたが、祀られているのは3体でした。
そこで画像をよく見ると、ひょっとするとこの3体は以下に説明しする三宝大荒神、八幡大明神、春日大明神、愛宕大明神のどれかではないかと見て取れる気がします。

 
宝大荒神
本来日本には神道のみが信仰対象でしたが、仏教が古墳時代に伝来したことで三宝荒神(さんぼうこうじん、さんぽうこうじん)は、日本古来の荒魂(あらみたま)に、古代インドに源泉をもつ夜叉神の形態が取り入れられ、神道密教山岳信仰などのさまざまな要素が混交し、日本特有の仏教における信仰対象として成立しました。
神道が唯一の信仰対象だった時代に仏教が伝来し、それを世に広めるためには、神と仏を融合させることで正当化する手法が用いられたのです。
そしてその手段として用いられたのが伝説です。
三宝荒神には2つの伝説があります。
一つは役小角金剛山で祈祷していると、(北東)の方角に赤雲がなびき、荒神が現れ、その地に祠をつくって祀ったという伝説。もう一つは荒魂を祀って荒神としたという伝説です。
後者は、ヒンドゥー教での悪神が仏教に帰依したことで守護神・護法善神となったとする風習が、日本の風土でも土着したものと解釈されています。
つまり前者の役小角の伝説で密教山岳信仰荒魂と神道が融合し、後者の悪神が仏教に帰依したという伝説で神道と仏教が融合し、二つの伝説を合わせることで神道密教山岳信仰仏教を融合させることに成功した、いやそれらの異なる信仰が融合した結果として三宝荒神も具現化したと言うべきでしょうか。
結果的に三宝荒神三宝)の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり:けがれた現世を嫌い離れること。)する仏神となったのです。
現在では不浄や災難を除去する神とされることから、火との神として信仰され、かまど神として祭られることが多い仏神です。
三宝荒神の姿は、三面六臂または八面六臂(三面像の頭上に5つの小面を持つ)で、密教の明王像のように頭髪を逆立てて眼を吊り上げた、暴悪を治罰せんとする慈悲が極まった憤怒の表情を示しています。

八幡大明神
現在の神道では、八幡神は応神天皇(誉田別命:ほんだわけのみこと)の神霊で、欽明天皇32年(571年)に初めて宇佐の地に示顕したと伝わる[3]。応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀られていますが、
比売神もまた単独神ではなく、アマテラススサノオとの誓いで誕生した宗像三女神、すなわち多岐津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)の三柱です。
宗像三女神筑紫の宇佐嶋(宇佐の御許山)に降臨したと伝えられている神ですが、もともと宗像氏ら海人集団の祭る神でした。
しかしその後大和朝廷の支配下となり、神功皇后による三韓征伐の成功によって新たに功皇后伝説が生まれ、その後大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄界灘の要となる神として重視される神として崇拝を受け、日本各地で宗像三女神住吉三神天照大神など数多くの神を祀った神社として広まったと考えられています
神功皇后は、応神天皇は母の胎内ですでに皇位に就く宿命にあったため「胎中天皇」とも称されたことから、皇后への信仰は母子神信仰に基づくと解釈されることもあります。
ちなみに神功皇后の伝説では、三韓征伐の後に立ち寄った対馬に大きな八つの旗(軍旗)を立てて神に奉じたと伝えられ、そのことが広幡乃八幡大神(息子の応神天皇)の名の由来となりました。
その後『広幡乃』を略してこの神を祀る神社を八幡神社となったのでしょう。

春日大明神
春日神(かすがのかみ)は春日大社から勧請(分霊を他の神社に移すことを)を受けた神のことです。
この神もまた単独の神ではなく、四柱である武甕槌命経津主命児屋根命比売神の総称です。
武甕槌命藤原氏中臣氏)の守護神であり、経津主命藤原氏中臣氏)の本拠地の常総地方の神、児屋根命比売神は夫婦で中臣氏藤原氏)の祖神(神としてまつる祖先祖先である神)です。
つまり春日神たる四柱の神々は、いずれも藤原氏中臣氏)ゆかりの神で、純然たる神道の神ですが、神道と仏教が融合したことで春日権現とも称されました。
ちなみに古代の豪族や皇族の祖神は、人間である祖先が神格化したのではなく、神そのものであるとし、そうすることで神を祖先に持つ皇族や豪族は人にして人以上の存在だという権威を示したのです。

愛宕大明神
愛宕大明神こと愛宕権現(あたごごんげん)は愛宕山山岳信仰修験が融合した神仏習合神です。
神仏習合思想において、日本の八百万の神々は、実は菩薩天部なども含む様々なが化身として日本の地に現れた神を仏教では権現(ごんげん)とし、神道では迹神(すいじゃくしん)としました。なのでが化身として権化となることを垂迹(すいじゃく)と言います。

愛宕修験大宝年間、修験道役小角泰澄山城国愛宕山に登った時に天狗(愛宕山太郎坊)の神験にって朝日峰に神廟を設立したのが、霊山愛宕山の開基とする伝説が伝わります。
この伝説により地蔵菩薩が垂迹した神が愛宕神とされ、神道でにおけるイザナミをお祀りしたのですが、愛宕修験では地蔵信仰だけでなく、塞神(岐の神)信仰(日本民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとした)天狗信仰も混在したものでした。

奈良時代天応元年(781年)になると光仁天皇の勅に基づいて五台山にならった五つの寺(愛宕五坊)が建立され、その一つに愛宕山白雲寺がありました。
平安時代になると塞神信仰陰陽道の影響から、愛宕山平安京北西)に位置する守護神ともされるようになります。
また愛宕修験では天狗信仰が盛んだったため、愛宕太郎坊天狗も祀ります。その記述は。平安時代末期の藤原頼長の日記『台記』にも愛宕山の天狗信仰に関する記載がみられるため、少なくとも平安時代には天狗信仰と融合していたようです。
戦国時代になると、愛宕山白雲寺は勝軍地蔵(将軍地蔵)を本尊としたため、愛宕権現は勝軍地蔵が垂迹した軍神としてから信仰を集めます。
その後塞神信仰から、、愛宕修験によって阿当護神と本尊の勝軍地蔵が習合して火防せの神である愛宕権現として愛宕山は京の火難除けや盗難除けの神として信仰され日本全国に信仰が広まったのです。
ちなみに愛宕神社の若宮(本宮の祭神の御子神を祀った神社)は、太郎坊大権現と称してカグツチイザナミの第五皇子(日本書紀の記述より天照、月読、蛭児、素戔鳴の順でその次の弟)であるとしその化身が愛宕太郎坊とします。
日本書紀の伝説では神武天皇長脛彦を撃破した際、現れた金鵄もまたカグツチの化身であるとされます。 なお東京都港区の愛宕神社 (東京都港区)では、愛宕太郎坊は猿田彦の化身とされている。

三平稲荷神社の向かって左側にある祠

イメージ 1
祠の石仏のアップ1
 
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祠の石仏のアップ2

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