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〜初詣:隅田川には髄身門?東京の浅草東照宮も橋本市の隅田八幡神社も〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!初詣2016編
和歌山県橋本市隅田町樽井にある隅田八幡神社は、その周辺を見渡せる高台にあり、神社の東側を流れる隅田川に架かる宮前橋を渡り、石の鳥居ををくぐると、石段の上に立つ山門らしき神社の入口があります。
山門というのはお寺の門ですから、神社の門は神門が正解かと思いきや、こちらの門は髄身門(ずいしんもん)と言うそうで、私にとっては初めて聞く門の名です。
そこでどういう形式の門を指す名なのかを知りたくて『髄身門とは』で検索してみました。
ところが『髄身門』について説明するページは見つからず、スッキリしない結果となりました。
その代わりに、面白いことが分かったのです。
前回にも触れましたが、この神社の東側を流れる川の隅田川という名は、全国的な知名度を持つ東京都北区を流れるあの隅田川と同盟です。
ですが前回の時点ではただそれだけの偶然でしかありませんでした。
ところが今回は更なる偶然を発見したのです。
前記したように私は今回『髄身門とは』というワードで検索を試みました。
その結果一番にヒットしたのは、隅田川の橋めぐりⅣ - Welcome to A drop meetというページです。
そこには、「伝法院は雷門を潜り、仲見世通りを通って行く途中の左側にある。
安永6年(1777年)に建立された浅草寺の住職が居住する本坊であり、・・・・・五重塔は慶安元年(1648年)本堂東よりに建立されたが、東京大空襲で焼失し、・・・・・・又門では髄身門(二天門)があり、こちらは浅草神社に向かって右手側にある。浅草寺境内に造営された徳川家康を祀る浅草東照宮の髄身門として建立。東照宮は寛永19年(1642年)焼失したが、この二天門は被災を免れ、現在は上野・寛永寺の二天(左が増長天、右が持国天)を拝領し本堂の東側に配された。」 という記述がありました。
これは今年の1月4日の特番『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺 3時間スペシャル』という番組で知った知識なのですが、浅草東照宮と言えば、徳川家康が生前の遺言で、日光東照宮と同様に自身の遺体を葬ることを希望した候補地に建てられたものだと記憶していたのですが、間違っていました。正解は久能山東照宮でした。
そして浅草東照宮の門が隅田八幡神社の門と同じく髄身門と呼ばれるらしのです。
つまり隅田川という名の川が2つあるという偶然に加え、二つの隅田川のすぐそばには、髄身門という同じ名前の門があるという偶然も重なっているのです。面白い事実ですよね。
この度重なる偶然には何か意味があるに違いないと思った私は、2つの髄身門の共通項などを調べてみたのですが、それ以上の情報は得ることが出来ませんでした。
そうは言うものの髄身門と言う名の意味だけは知りたいですよね。
そこで漢字1文字ずつの意味を調べてみと、
『髄』には 物事の中心。要所。奥義。神髄。という意味があり、『身』には地位。身分。立場。という意味がありした。
ということは、髄身門とは隅田八幡神社や浅草東照宮は御霊の身分もしくは地位を神髄とする社の前に立つ門と解釈すればよいのでしょうか?
そんなこんなであえて言えば、神ならざる人(須田氏と徳川家康)が、神の社を己の死後の居とし、その入り口となる門の名を髄身門とした。と結論づけておきましょうか。
ちなみに隅田八幡神社の髄身門の天井には、和歌山県かつらぎ町出身の画家・客殿南峰さんが
随身門天井画として寄進された「雲龍(うんりゅう)」と題された絵が描かれています。 隅田八幡神社には参拝したことがあるのに、この「雲龍(うんりゅう)」には気が付かなかったという人も少なくないのでは?
隅田八幡神社前の髄身門
髄身門の天井に描かれた雲竜
天井画の説明札
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