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〜真田丸:勝頼が岩殿城に入城していたとしても武田は滅亡した?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
前回は武田勝頼の命により真田昌幸が築城した新府城についてご紹介しました。
『NHK大河ドラマ 真田丸』の第一回放送でも語られているように、勝頼は躑躅ヶ崎館に見切りをつけ、新府城を本拠として周辺諸国に対抗するつもりでした。
ところが、木曽義昌と家臣筆頭の穴山梅雪の寝返りにより、織田・徳川連合軍の進軍が想定より遥かに早まります。
これにより、本拠とすべき城を万全とすることもあきらめ、既存の領内の城の中から、迫りくる敵方を迎え撃つに最も適した城を選出し、決戦に備えて勝頼に移ってもらう必要性に迫られます。
この武田家存亡を掛けた軍議の中で、真田昌幸は、真田領地の岩櫃城を勝頼に推奨し、小山田信茂はその領地の岩殿城(岩殿山城)を推奨します。
昌幸の推奨した岩櫃城については、『NHK大河ドラマ 真田丸』の第ニ回放送以降にも登場するはずなので、後日ご紹介するとして、今回は小山田信茂の岩殿城についてご紹介します。
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岩殿城というのは、複雑な大きな城だったのです。
情報いっぱいの 記事 勉強になります。
この時代の ひとの歴史は すさまじいです。
又 教えてください。
2016/1/17(日) 午前 10:21 [ ざしきわっぱ ]