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〜真田丸:本能寺の変後の各大名の動き(1)家康の伊賀越え+服部半蔵〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』は、第5回放送「窮地」では、本能寺の変から2日後までしか話はすすみませんでしたね。と記しました。
ご存じかもしれませんが、明智光秀が謀反により織田信長を討った本能寺の変は、天正10年6月2日(1582年6月21日)です。
ここで一番の問題は、明智光秀がなぜ謀反を起こしたのか?ですが、
ドラマなどにおいては遺恨説に基づいて描かれることが多く、一般化していますが、実際には未だもって謎と言う他はありません。
このような真相が明らかでない歴史上の大事件の多くは、概ね後の権力者の意向が大きく影響した文献をもとに、諸説が論じられます。
結果本能寺の変では、グループ分けして大別すると、
1.光秀単独犯説・光秀主犯説
積極的謀反説
消極的謀反説
名分存在説(義憤説)
複合説
2.主犯存在説・黒幕存在説
主犯存在説(主犯別在説)
従犯存在説
黒幕存在説(黒幕説)
黒幕複数説(共謀説)
3.その他の説
関連説
があり、個別の説で言えば56つもの説があるそうです。
であるなら、まずはこの事件の後の有力武士の動向に注目しましょう。
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