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〜真田丸:上田城は昌幸が構想し、家康が援助し、景勝の協力により完成した〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
「寺島隆史「上田築城と城下町の形成」他を参考にさせて頂きました」という 上田城を徳川、上杉に普請させた真田昌幸 | WEB歴史街道によると
徳川勢の前線基地のはずだった上田城
天正11年(1583)4月13日、越後の上杉景勝は、直江兼続の添え状も合わせ、家臣である北信濃の島津左京亮に「真田昌幸が海士淵〈あまがふち〉に臨む崖上に寄居〈よりい〉(城塞)を築き始めたと、海津城より報告を受けた。そこで北信濃4郡全域の武士を虚空蔵山に集め、築城を妨害すべく真田を攻めることにする。ついては島津左京亮には、検使(監視役)を務めてもらいたい」との書状を送っていたそうです。
当時、昌幸が築き始めた新城は、太郎山から西に続く虚空蔵山の北まで、上杉氏の支配が及び、そのまさに目の前 数キロ先に位置していたため、上杉方は徳川家康勢の前線基地となることを恐れ、この城を危険視したのです。
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先日歴史ヒストリアで見ました、NICE
2016/4/6(水) 午前 8:04
> eigekaiiさん
コメントありがとうございます。
そうでしたか、歴史ヒストリアは見落としていました。どこかの動画サイトなどで確認したいと思います。
2016/4/6(水) 午前 8:12 [ 上から目線 ]