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〜真田丸:秀次が「跡継ぎの器ではない」と言った理由、それは三谷さんが・・・〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』では、豊臣秀次がきりに好意を持っているという設定になっていています。
そして21回放送『戦端』では、秀次がきりに棄の(すて)の誕生により「むしろホッとしている。そもそも私は、跡継ぎの器ではない。」と語る場面があります。
このような秀次は、これまでのドラマには描かれたことのない人物像です。
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三谷幸喜さんも秀次は野心家ではないと理解して秀次を描いたのでは?
そして何よりも、史実において棄は7歳で死去することや、秀次の末路から逆算して、一旦は秀次が跡継ぎをあきらめたとし、にもかかわらず棄の死後、秀頼を跡継ぎとするまでの間に秀吉は秀次を関白として跡継ぎとしたために、後に秀頼を跡継ぎとする時、秀次が邪魔になって
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上から目線さん。
豊臣秀次役の新納さんを見ても穏健な顔立ちですが史実でも秀次は豊臣政権内部では穏健派希望の星でしたからね。
秀次が秀頼に関白職を必ず譲ると約束しておけば秀吉もあんな仕打ちはしなかったのでは…と考えるのですが如何でしょうか?
2016/7/1(金) 午後 10:14 [ ヨシヒロ ]
> ヨシヒロさん
戦国時代は裏切りが当たり前の時代ですから、秀吉の寿命が長くない以上たぶん約束など何の意味もなさないでしょう。
本人がそのつもりでも、周囲のとりまきが不穏な動きをすることは目に見えています。
例えば秀次に無断でとりまきが幼い秀頼を暗殺するとか。
災いの種は取り除かねば、秀頼の行く末が心配で死んでも死にきれないと秀吉は思うでしょうね。
2016/7/1(金) 午後 10:57 [ 上から目線 ]
上から目線さん。
秀吉に早い内から後継者が確定していれば、秀次の家系は分家して徳川御三家みたいになっていたかもしれません。
2016/7/2(土) 午前 7:48 [ ヨシヒロ ]
> ヨシヒロさん
そうですね、豊臣本家があるかぎり、それはありえますね、秀長の家系とかも。
2016/7/2(土) 午後 4:37 [ 上から目線 ]
上から目線さん。
秀頼が元服するまで宇喜多秀家か結城秀康が関白職につく事あったでしょうか?
2016/7/4(月) 午前 10:46 [ pap***** ]
> pap*****さん
関白や征夷大将軍になりうるのは、天下人かその後継者以外にはないと思いますよ。
2016/7/4(月) 午後 4:10 [ 上から目線 ]
上から目線さん。
別の投稿にあったように、やはり、秀頼が元服するまで官位授与を凍結するしかないですね…
秀家も秀康も秀吉に恩義があるので全力で秀頼を補佐していたのでしょうけど…
2016/7/4(月) 午後 6:35 [ pap***** ]
上から目線さん。
結城秀康は、豊臣家に恩義を感じていましたがもう少し長生きしていれば豊臣方についていたのでしょうか?
byヨシヒロ
2016/7/6(水) 午後 0:08 [ pap***** ]
> pap*****さん
私は今の今まで結城秀康の存在を知りませんでした。
で少し調べさせてもらいましたが、家康の実子でありながら、双子であったがため?に実父に嫌われ、秀吉の養子となった人だそうですが、家康も秀吉も秀康を人質として利用しただけのように思えます。
秀康は秀吉に恩義をかんじていたでしょうが、仮に豊臣方についていたとして、秀吉はそのことを良い事に更に利用し続ける気がします。
良かったんですよ、秀康は豊臣方とならずに生涯を終えることができて、でないと、悲しすぎます。
2016/7/6(水) 午後 6:58 [ 上から目線 ]
上から目線さん。
秀康を知らなかったのですか!?
失礼しました
秀康個人は、豊臣と徳川が戦になったら大阪城に籠るつもりでしたが家臣や息子達が必死に引き留めるていたでしょう…もし、秀康が密かに大阪城に入城しても家臣や息子達は史実通り徳川方の一員として親子同士が敵味方に別れて戦かっていたでしょうね!
丁度、真田家が関ヶ原で敵味方に別れたように…
2016/7/6(水) 午後 7:28 [ pap***** ]
> pap*****さん
にわか勉強の知識ですが、私は仮に結城家の親子が敵対することがあっても、それは真田親子が徳川方と豊臣方に別れて対したのとは全く違った意味合いだと思います。
真田親子は、敵味方に分かれて後も、互いに他方を気遣い、存続できるようにと奔走しています。
ですが、恐らく結城親子が敵味方に分かれた場合、それは完全なる別離です、戦う度に相手への憎悪をつのらせ、血で血を洗う戦いになっていたように思えます。
真田は覇権を目指したのではなく、あくまでもお家存続を願って戦ったのですから。
2016/7/6(水) 午後 7:53 [ 上から目線 ]
上から目線さん。
秀康も豊臣家に恩義が感じながらもやはり、結城家の将来を考えたら将軍家についていたでしょうがもし、豊臣方についたら結城家からも将軍家からも記録を抹消されていたでしょうね…
2016/7/6(水) 午後 9:18 [ pap***** ]
> pap*****さん
さあ、どうなのでしょう?ヨシヒロさんの思う秀康の未来については、私にはよく見通せません。
抹消されるよりも酷い裏切り者としての記録が残ったかも。
2016/7/6(水) 午後 9:58 [ 上から目線 ]
上から目線さん。
秀康は家康からも秀吉から厄介者扱いされ、養父・秀吉からも体の良い人質にしか見てなかったみたいですがそれでも家康より秀吉の方に思い入れがあったみたいです。
しかし、それはあくまで秀康個人の事であって秀康の息子や家臣達は思い入れがなかったでしょう! 勿論、秀康の豊臣家に対する気持ちは理解していたでしょうが…
2016/7/6(水) 午後 10:38 [ pap***** ]
> pap*****さん
結城にしろ伊達にしろ、武田にしろ、真田のように思いを一つにしてお家存続のために生きることができなかったことは悲しい事です。
特に結城秀康に至っては、哀れでなりません。
2016/7/6(水) 午後 11:16 [ 上から目線 ]