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〜真田丸:茶々は朝敵北条?の滅亡に浅井を思い、昌幸、景勝は秀吉に・・・・〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
追記です。このページでは信繁が扇子に目を止めた理由を菊の絵と記していますが、後の放送『滅亡』では、その理由が利休の扱う印にあったことを報告しておきます。それでもここでの推理は大間違いではないと思います。
『NHK大河ドラマ 真田丸』の第23回放送『攻略』で描かれた、小田原成敗において秀吉は、石垣山城本陣に茶々を呼びます。
本陣についた茶々を待っていたのは、戦場とは思えぬほど踊り騒ぐ秀吉たちでした。
茶々はそんな宴の中に身を置くことに苦痛を感じてその場を離れ外に出、眼下に見える小田原城を鋭い眼でしばし眺め、大きなため息をつきます。
そこへ、各大名に伝令を伝えに回っていた信繁は通りかかり、茶々の姿を見つけ、声をかけます。
信繁:「どうされたのですか。」
茶々:「退屈なんですもの。」
信繁:「殿下は?」
茶々:「踊ってらっしゃいます。千利休が来てるんでしょ?案内して。」
信繁:「しかし・・・・」
茶々:「サーっと行って戻ってくれば大事あるまい。さぁ。」
茶々は信繁の手をとり、利休のもとへと向かいます。
(一言:案内役を逆に引っ張っていってどうすんの?)
利休のもとに着いた茶々と信繁は、利休の持ち込んだ贅沢な品々を見せられ、品定めをして廻り、幾つかある扇子の一を手にとりますが、信繁はそんな茶々の行動を止めます。
信繁:「またになさりませ。さあ、戻りましょう。」
茶々:「戦はいつ始まるの?」
茶々:「これが戦?浮かれ騒いでいるだけ見見えるけど。」
信繁:「戦にも色々あるのです。」
茶々:「せっかく来たからには城が焼け落ちるところまで見ておきたいわね。」
利休:「これはこれは、面白いことをおっしゃいますなぁー。」
信繁:「縁起でもないことを。さあ、戻りましょう。」
茶々:「はいっ。」
茶々は信繁に先ほど手に取った扇子を手渡し、さっさとその場を出て行きます。
扇子を手渡された信繁は、それに描かれた菊の絵柄になぜか目を止めます。
ここで一つ疑問が湧きます。
信繁はなぜ扇子に描かれた菊の絵柄に目を止めたのでしょう?
そこには『NHK大河ドラマ 真田丸』の脚本を手掛けた三谷幸喜さんのこの戦いに向けた思い(いわゆるメッセージ、ですね!)が見え隠れします。
天皇家の家紋 - 天皇家の家紋の菊の花びらは16 ...- Yahoo!知 …によれば、いわゆる菊花御紋章は、天皇家の家紋ではありません。 天皇の紋です。 一般の家紋と異なり、天皇という地位をあらわすマークであって、即位して、天皇である間だけ使うことが許されるのだそうです。つまり菊は天皇を意味することになるのです。
そもそも小田原征伐の「征伐」という言葉には、反乱を起こした勢力を鎮圧したり、反社会的な犯罪集団・賊などを、武力で処罰(懲罰)したりするこという意味があり、関白となった秀吉においては、他国を攻める場合に度々「○○征伐」という言葉が使われますが、それ以前の武将が公に「征伐」という言葉を使ったのは織田信長のみです。そして信長以前となると、古代のヤマトタケルの東征における関東征伐に遡ります。
つまり、本来「征伐」には、日本における絶対的正義である神の子:朝廷に敵対する者、つまり朝敵を討つという意味になるのです。
と言う訳で、小田原征伐にもそうした意味があったのです。
それを示す記述として、小田原征伐 - Wikipediaには、このような記述があります。
「小田原征伐(おだわらせいばつ)は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が大義名分によって後北条氏を征伐し降した歴史事象・戦役。惣無事令違反を名目に起こした征討で、天皇は後北条氏討伐の勅書を発していなかったものの、関白であった豊臣秀吉は、天皇の施策遂行者として名分を備えていたという立場で臨んでいた。」と。
話を戻しましょう。信繁が茶々から手渡された扇子に描かれた菊の絵柄に目を止めた理由には、上記したように、秀吉の北条攻めという秀吉の私的な感情(北条が秀吉に恭順しない事に対する怒り)に起因する合戦が、天皇の施策遂行者として名分を備えていたという立場で行う虐殺を茶々は暗に批判する意味で菊の絵柄を信繁に手渡したと解釈できます。
そのことは、茶々の行動のみに止まらず、同様の意味をもって武将が語る場面が第23回放送『攻略』にはあります。
それは、上杉景勝を総大将とする東山道軍が、上野の松井田城に攻め入り、真田昌幸、上杉景勝、真田信幸、直江兼続らが酒を酌み交わしながら語る場面です。
(一言:ただし、直江兼続は語りません。語らず黙していますが、目が口ほどに・・・・です。)
上野の松井田城での談話
昌幸:「どーもやる気が起きぬ。」
景勝:「わしもそうだ。」
昌幸:「秀吉のために城を落とすというのが引っかかる。」
景勝:「この戦には、大儀というものが見出せぬ。」
昌幸:「そう、大義がない大義が・・・・・。」
信幸:「太閤殿下は、日の本から戦を無くそうとされています。それが大義とは申せませんか?」
昌幸:「わしは秀吉のために戦いとうないのじゃ。で、次はどこを攻める?」 と。
この後東山道軍は信幸の指揮により忍城を攻めますが、苦戦します。
そんな中、それまで秀吉に従わなかった伊達政宗が本陣に死に装束で参上し、秀吉への恭順を示します。
ついに、秀吉に従わぬ大名は北条のみとなり、政宗の援軍をあてにしていた氏政は衝撃をもってこの知らせを耳にします。北条は天下にただ一国、孤立したのです。
政宗の秀吉に対する恭順は、茶々にとっても衝撃であったようです。
茶々が再び石垣山城本陣から小田原城を鋭い目つきで眺めながら、この城に漂う重苦しい空気に耐え、肩で息をしてたたずみ、そこへも信繁が現れます。 信繁・「これで殿下に歯向かう者は、北条だけになりました。」
茶々:「どうなってしまうの、あの城は?」
信繁・「殿下のお考え次第でございましょう。北条が降伏しなければ、一気に攻め落とすこともあるのでは・・・・」
茶々:「北条は滅びてしまうの?」
信繁・「そうやって、世の中は新しくなって行くのです。取り残された者は、消えて行くしかありません。」 茶々は、北条滅亡の日を前に、かつて茶々の父:浅井長政が織田信長の命に従い秀吉に討ち滅ぼされたあの惨劇を思い起こしていたに違いありません。
「秀吉はまたしても理不尽な惨劇を繰り返そうとしている。そんな滅ぼされる側の無念を、私は引き継ごう。」と。
ということでこの第23回放送『攻略』では、茶々、昌幸、景勝、信繁の目を通して
小田原征伐の真相に一石を投じたストーリーとして描かれたのです。 石垣山一夜城から望む小田原城
(石垣山城 - Wikipediaより)
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