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〜真田丸:忍城の戦いで名を馳せた女傑 甲斐姫は乱世を生き抜き尼に?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
忍城の戦いにおいては、石田三成による水責めに耐えた 成田氏の中に、女傑の存在がありました。
その名を甲斐姫といいます。
甲斐姫 - Wikipediaによれば、
忍城城主・成田氏長と、由良成繁の娘との間に生まれる。外祖母となる妙印尼(由良成繁の妻)は、天正12年(1584年)に金山城が北条氏の軍勢に襲撃された際、71歳という高齢にも拘らず籠城戦を指揮した女傑であり、甲斐姫の母も武芸に秀でていたそうです。
(一言:つまり代々女傑の家柄だったんですね。)
天正元年(1573年)、成田氏と由良氏の関係悪化に伴い、母とは2歳の時に離別した。
(一言:母は成田氏から由良氏へと戻されたのでしょう。当時は実家との関係悪化で嫁ぎ先から妻が実家へと戻されることは多々あったのですね。)
その後は氏長継室となった太田資正の娘の下で育てられたが、継母や巻姫や敦姫といった腹違いの妹たちとの仲は良好だったという。
19歳となった甲斐姫は「東国無双の美人」「男子であれば、成田家を中興させて天下に名を成す人物になっていた」とも評されます。
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