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〜真田丸:大谷吉継は、石田三成に代わって利休の祟りを受け・・・・〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』の第25回放送『別離』では、秀吉と茶々との間に生まれた子:棄(すて)の病状が深刻化し、「利休殿の祟りではないか?と密かに噂する者もおるようで、利休殿があのような最後を遂げられたので、その怨念が」と平野長泰が三成や大谷吉継に語り、利休が切腹するまでの経緯を回想するよにドラマが展開します。
ドラマにおける、利休を切腹に追いやった経緯は、信繁が滅亡直前の小田原城で利休の刻印のある鉄砲の玉の原料となる鉛の延べ棒を見つけ、その事を大谷吉継に報告し、三成、吉継、信繁の3人で利休にこの事を問い詰め、秀次の次取り次ぎで利休の行いを秀吉の耳に入れます。
その後棄の葬儀の手配のために吉継ぐが大徳寺に行った時、利休が自身を象った木造を大徳寺の山門に飾るよう依頼した事を知ると、これを理由として吉継と三成は、利休をおとしめるべく秀吉に報告します。
三成はこのとき、利休を「堺の屋敷に蟄居(ちっきょ)させるがのよろしいかと。」と進言し、
これに対して秀吉は「よきようにせよ。」とのみ答えます。
すると吉継と三成らは利休に対して蟄居を言い渡すのみならず、蟄居半月の後、切腹の沙汰があったと言い渡します。
つまり利休は、その権力がこのまま続けば必ずや豊臣家に対して災いを招くと判断した吉継、三成、信繁の3人によって謀殺されたという設定でドラマが展開されます。
ただし切腹を企んだのは吉継で、三成と信繁は利休を罰しようとはしましたが、切腹までさせようとは思っていませんでした。
このような経緯を経た利休が切腹に至るまでの回想シーンの後、場面は利休切腹後に、吉継と三成が語り合う場面に変わり、吉継は三成に「利休のことは忘れろ、祟りなどあるはずがない。もしあるならば、真っ先に祟られるのは、このわしだ・・・・この通り何もない。」と語ります。
その後ドラマの場面は再び回想シーン?へと移り、信繁が蟄居中の利休の屋敷で茶をたててもらいながら、利休に対して「利休様、一つだけ教えてください。何故あのような象をこしらえたのですか?」
と問いかけるのですが、これについては次回に記すことにします。
さて、今回問題にするのは、吉継が語った「利休のことは忘れろ、祟りなどあるはずがない。もしあるならば、真っ先に祟られるのは、このわしだ・・・・。」という言葉です。
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レスありがとうございました。登場人物に三谷さん流の感情を乗せたドラマを面白く見させてもらっています。しかし、真実も知りたいですね。しばしば寄せていただき、勉強させてもらっています。よろしくお願いします。
2016/6/28(火) 午前 9:41 [ mat*sim*7*5 ]