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〜真田丸:別の見方をすれば、利休は茶々の思惑で死に至ったと見れますね〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
前回の後半で記したように、第25回放送『別離』では、信繁が蟄居中の利休を訪ね、二人だけで語り合う場面が描かれました。
利休が切腹するに至った理由には諸説あり、定かではありません。
ですが今回のドラマでは、利休の存在を危険視する秀吉の重臣が、独断で利休を断罪に処すことを図ったという設定で描かれました。
自身の意思とは異なる思惑で図らずも利休の死にかかわった信繁は、利休が自身を象った像をなぜ大徳寺の山門に安置しようとしたのかについて尋ねますが、
利休はただ。「一言で言うと定めや。」と笑い飛ばし、一言も弁明しませんでした。
加えてそれ以前の利休の発言も印象的です。
信繁が、「私には、北条の一件、未だ信じられませぬ。」と語ると、
利休は、「わては、商人の町に生まれ、金が人の心を、そして国を動かす事を学びました。そして知ったんや、戦は儲かりまっせー。しかし、人の心を命を、金で操るは業のふかーいことや。それ故わては茶を点(た)てる。ここまで茶の道を究めることが出来たのも、それだけわての業がふかーいゆえ。どうぞ、利休の業が点てた茶、味おうてくだされ。」と語ります。
果たして、いかなる分野においても、道を究めるということの根底に、業の深さがあるという理屈はなりたつのでしょうか?信仰の道ならいざ知らず。
業を捨てる(解脱する)ためになら納得できるのですが、普段の業をロンダリング(洗浄)して再び業に走るために茶道を究めるなど、こじ付けにもほどがあると私などは思うのですが・・・・。
現在、茶道を究めようとする関係者や生徒の皆さんは、このドラマで描かれてる茶聖の有り様をどう思われているのでしょうか、ドラマの設定上とは言え、劣悪なる利休の人間像を苦々しく飲んだということはないのでしょうか?
ともわれ、利休は切腹に至るまで、何の弁解もせず、大谷吉継らの謀略を受け入れ、この世を去ります。
ところが、ドラマ上ではその口実となった・・・・・・・・
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利休の切腹は銅塊の不正取引が主原因で、あとは切腹させるための屁理屈でしょう。
利休は不正取引と知りながら「とと屋刻印」を銅塊に押したのでしょうか? 銅塊の使用目的が即鉄砲玉だけではなく、いろいろな用途があると思います。また、北条家に売りつけた時期がいつなのか? 秀吉との対立が顕在しない時期なら当然商売人としての取引はあったでしょう。利休がどこまで介在したのか、いろいろ謎で、ドラマで「利休が逃げ出すシーン」がありましたがこれさえなかったら解釈の幅が広まり、茶を楽しんでおられる方に不快感を与えることはなかったのではと思っています。私は秀吉の信長への嫉妬が主因だと思っています。
2016/6/30(木) 午前 9:54 [ mat*sim*7*5 ]
> mat*sim*7*5さん
「秀吉の信長への嫉妬」の意味が私にはわかりません。
2016/6/30(木) 午後 4:25 [ 上から目線 ]
> mat*sim*7*5さん
『真田丸』では自ら鉛の延べ棒を見せられて鉄砲玉の原料とゲロしていますよね。
ドラマではなく実際に利休が直接商いをしていたかどうかは私にはわかりませんが、仲介程度ならやっていたかもしれませんね。リベートをもらって。
ですが可能性があるというだけです。
切腹の件については私も誰かが仕組んだ言いがかりによると思っています。
2016/6/30(木) 午後 4:32 [ 上から目線 ]