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〜真田丸:秀吉に伏見に築城を命じられた昌幸は、木幡山に出城を築くことを〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』第29回放送『異変』では伏見城は慶長伏見地震により完成間近でありながら崩壊する様子が描かれました。
現在の伏見城跡は江戸時代初期に破却され、その後明治時代に宮内省の御料地とされ、明治天皇桃山陵、昭憲皇太后桃山東陵となったため、遺構調査も容易ではなく、年代によっては史料が不明な点も多いが、推定復元は試みられているそうです。
ではなぜ秀吉は晩年になって伏見の地に城を築城したのでしょう?
ドラマにおいて真田昌幸は秀吉より伏見城築城の命を受け、近隣の木幡山(こはたやま)に出城を築くことを思いたちますが、史実でも慶長伏見地震により伏見指月に築いていた城(指月伏見城)が崩壊した後、木幡山に再び城が築かれます。これを指月伏見城と区別するため、木幡山伏見城と呼びます。
史実において秀吉は、秀次を粛清して聚楽第を破却した後、伏見指月の地を豊臣政権の首都にするため、大々的な屋敷割や街路の整備を行っていたそうです。
とはいえ、もともと指月は隠居所として選ばれた場所だったことは事実であり、ドラマ上の設定ではないようですから、その地は風光明媚な地ではあっても戦国時代の城を築くにふさわしい要害性は軽視された場所でした。
とくに、北東に城を見おろすような丘があるのは、防禦の観点からは明らかな欠点だったのです。
そこでその欠点を補うべく着目されたのが木幡山であり、そこに出城を築くことで指月伏見城の防御における欠点を補うことができます。
もちろん昌幸が木幡山に出城を築こうとしたのはフィクションですが、軍事的セオリーにかなった発想と言えます。
出城があると、攻める側は最初に出城を攻略しなくてはなりません。
出城を無視して本城に攻めかかると、出城から出撃した部隊に横合いや背後を衝かれてしまうからだ。本城の側では、その間に万全な守備態勢を整えることができる。また、攻め手が出城攻略に手間取っていると、今度は本城からの逆襲を食らってしまう。
つまり、ツボを得た場所に出城を築いておくことで、相手に攻撃目標や作戦プランの変更を余儀なくさせて、不本意な戦いを強いることができるのです。こうした出城(もしくは出丸)のような施設のことを、専門用語で「側面陣地」というそうです。
指月伏見城と木幡山伏見城の位置関係を示す航空写真
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こんばんは、いろいろ詳しいですね・・・
2016/7/30(土) 午後 8:52 [ APJP357 ]
> APJP357さん
ありがとうございます。
色々詳しいと言うより、興味を持って知り得た事だけをご紹介しれいるといった感じです。
ブログであれ、発表するためには時間をかけて真偽を確かめながら。
2016/7/30(土) 午後 9:01 [ 上から目線 ]