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〜真田丸:徳川秀忠は出浦昌相の家康暗殺未遂があっての江戸帰還?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
前回ご紹介したように、『NHK大河ドラマ 真田丸』の第32回放送『応酬』では、秀吉の死後いよいよ家康が本性を現しはじめました。
酒宴に諸大名を招いて混信を深め、さらに有力大名には個別に政略結婚により更に強い結びつきを画策して行きまっした。
ドラマでは、本多正信が伊達政宗に接触して政宗の姫の年齢を聞いていましたね。
これは当然政略結婚の算段のための調査です。
家康の天下取りに向けての動きはこうした表立ったものだけではありませんでしたよね。
秀吉が亡くなったと知るや、直ぐさま嫡男:秀忠を呼びつけ、領地である江戸への帰還を申し渡しましたが、その意味を理解出来なかった秀忠は、「何ゆえ」と聞き直したために、
家康から「少しは頭を働かせろ!」ときつく叱られてしまいました。
私もこのシーンの時点では、なぜ秀吉が亡くなったら秀忠が江戸へと帰らなければならないのかがわかりませんでしたが、昌幸が解説してくれていましたね。
信繁、信之に加え、国元より呼び寄せられた矢沢三十郎頼幸や昌幸も傍らで聞く中、信繁は信之に対して、本多忠勝に信之には百助以外に腹違いの仙千代も誕生したことを早く伝えるべきだと語った後で、徳川方の本多正信の呼び掛けで徳川屋敷へはしきりに諸大名が出入りしていることが気になると信繁は信之に語り、信之も明日に招かれているとの回答を得ます。
それ以後の会話です。
信之:「気になると言えばもう一つ、秀忠様が江戸に戻られた。」
信繁:「秀忠様が?」
三十郎:「秀忠様?」
信繁:「お前は控えておれ。」
信之:「もしや戦支度と思ったが、殺気だった様子はなかった。だからよけい気になってな。」
信繁:「何ゆえ?」
ここで縁側に座っていた昌幸が口を挟みます。
昌幸:「信長の二の前を避けたのじゃ。」
信繁:「どういう事でしょう?」
昌幸:「織田が滅んだ一番の訳はなんだ?・・・・信長が死んだ時、嫡男:信忠も討たれたからじゃ。家康は、息子共々ここで討死にしては徳川が滅ぶと考えた。それ故秀忠を江戸に返したのじゃ。」
信繁:「なるほど。」
信之:「さすがわ父上。」
お気づきの方もおられると思いますが、これには秀吉の死に乗じた徳川の天下取りに向けての動き以外にも、早急にそうせざるを得なかった伏線となる事件がありましたよね。
そうです。三成が秀吉最後の命を受けて昌幸に相談し、昌幸は出浦昌相を使って行った家康の暗殺計画です。
暗殺自体は失敗し、昌相は本多忠勝に何度も斬られましたが、第32回放送『応酬』での話の流れから行くと、やはり三谷さんはこれからのドラマ展開に欠かせない大切なキャラクターである出浦昌相をここで死なせるわけにはゆかなかったようですね。
そしてこの暗殺御簾事件は家康に真田昌幸の仕業と知られる事も無く、敵がだれなのかが分からないことで尚更、家康は生命の危機を強く感じて、再びの襲撃があれば、徳川の親子共々討たれる可能性もあると判断し、結果的に嫡男:秀忠を江戸に返したのですね。
しかしこれはドラマ上の設定です。
秀忠がどの段階で江戸城に戻されたのかは知りませんが、家康が秀忠を江戸に置くにあたっては、後に秀忠が征夷大将軍となってから大きな意味合いをもつことになります。
しかしそれはまだ関ケ原の合戦以後のお話なので、いずれまた機会があればお話したいと思います。
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