カメラとビデオを棒にくっつけて

堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

全体表示

[ リスト ]

〜真田丸:家康への痛烈な批判をした直江状は痛快、でも原本は実在したの?〜
      サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編 
近畿情報ブログランキング参加用リンク一覧  イメージ 2

今日放送の『NHK大河ドラマ 真田丸』第34回放送『挙兵』の後半では、天下をほぼ手中におさめた家康が、石田三成の徳川屋敷襲撃未遂事件の後、国元の会津に戻って間もないというのに、上杉謀反の疑いありとの訴えを根拠に、上洛を命じますが、上杉景勝はこれを断固拒否します。

その際景勝の側近:直江兼続が家康の横暴極まる上洛の命に従わない事に対する弁明や催促を求めるため、家康は自らの花押(かおう=サインを入れた書状を送りつけるのではなく、日頃から兼続と懇意にしている坊さん:西笑承兌(さいしょう じょうたい)に要請して書状を送らせました。
そして兼続は西笑承兌返書を送ります。
そこには、家康に対する痛烈な批判が込められていました。これが世に言う直江状です。
簡単に言えば、家康の「謀反を企てているのではないか」という詰問に対し、兼続がそれにいちいち反論するもので、中々の長文です。

ですがそもそも直江状は、同年の関が原の戦へとつながる家康の会津上杉攻めの口実を作ったとして従来から注目されてきた一方で、原本が未確認であり、古文書集に収録された写本や総合図書館所蔵本のように版本(手書きによる原本の写本ではなく、木版により多数の写しを世に普及させるための本で、江戸期、つまり徳川政権下のもの)として流布してきたものです。
国会図書館などが当時流通していた書物を収集・保管した総合図書館所蔵本の中に含まれるもので、兼続が記したとされる書状を、承応3年(1654)に京都の中村五郎右衛門が全28丁からなる和装本で刊行しました。
ちなみに:承応3年は第3代将軍徳川家光から第4代将軍徳川家綱に代替わりする頃です。)
大きさは26.5×17.6cm、総合図書館の貴重書に指定されているもの(請求番号A00:4631)。
藻類学者・水産学者であった岡村金太郎(1867〜1935)が収集した往来物とよばれる書簡文体の初等教科書・手本類のなかの1点で、そのコレクションは関東大震災後の大正14年(1925)に購入・登録され、岡村文庫と称されているそうです。
あることから、その表記法や内容等から歴史的資料としての信憑性を疑う説も提出されています。
とは言うものの、世に言う直江状の内容が信憑性に欠けるにしても、家康を激怒させた兼続からの書状は確かにあっただろうとされています。

さて直江状の内容ですが、
謀反の疑いがあるから上洛しろとは、言った本人をまず良く調べて欲しい。
それができないのならそれは家康殿にこそ天下に表裏があるのでしょう。また前田利長の件(謀反の嫌疑をかけられた)を自分の思い通りに解決したそうだが、大した御威光ですね。

これまでにも何枚もの、誓約書を提出しているのに又出せと言うならもう勝手にしてください、われわれは豊臣に謀反する気持ちなんて無いのですから。

 景勝が上洛を引き延ばしていることについて、何かと風聞がたっているようですが、おかしなことです。
会津に国替えになってすぐ上洛したのに、またすぐに上洛せよとは、それならばいつ領国の政治をすればよいのか。またこのような雑説は、上洛できないために起こったことであり、誰かが景勝逆心ありと触れまわっているのでしょう。
城を改築して、道路も広げているのが怪しいと言う事ですが、本当に謀反するなら城攻めをしにくくするために、道路を逆に狭くするでしょう、バカ者の告げ口をまともに信じないで下さい、それに会津への国替えから(都に留置かれていたために)城の普請も改修工事も出来なかったので今やっているだけで、その工事のための帰国を願い出た時、あなたが国に帰ってもいいと言ったのでしょう。

 武器弾薬をせっせと買い集めている、浪人者を積極的に雇っているというのは見解の相違です。
上方の武士は茶道具を集めているように、田舎の武士は武器を収集しているのです。

我が上杉家は名門にして武略こそ唯一の家柄です、都にいてぶくぶく太って茶器を集める間抜けな大名とは違うのです、いついかなるときにも豊臣の為にと考え備えているのにすぎません。
一言:家康がとりわけ腹を立てたのは、この一節だそうです。)

いずれ景勝が間違いか、家康様に表裏があるのかは、世間が判断することでしょう。

これが私の返事ですが、納得がいかないと言うなら、お互い武士同士ですから決着の仕方は古来より決まっています。こちらは喜んで受けてたちますよ、そのように家康殿にお伝え下さい。

以上のように確かに直江状は家康にとってはいかにも許しがたい内容のものです。
だからこそ現代人はその兼続の天下人に屈しない姿勢に引かれ、多くの兼続ファンが存在する所以なのですが、原本があったとしても果たしてここまで過激な言葉をあえて使った書状だったのでしょうか?
普通に考えれば、中村五郎右衛門なる方が本の売れ行きを考慮して兼続の記した内容を誇張・拡大解釈したものだと思われます。
具体的には「都にいてぶくぶく太って茶器を集める間抜けな大名とは違うのです。」などは付け加えられた文章ではないでしょうか?
一言:この文章の意訳もかなりの直江状に対する誇大解釈ですが・・・・。)
ですがいずれにせよ武士としての品格を損なわない範囲内で家康の横暴を批判した文章はあったと思えます。

ここまで『真田丸』では愛想のない朴念仁として描かれて来ましたが、いいですよね、直江兼続。
そして中村五郎右衛門も徳川政権下でよくぞ徳川の開祖の偉業に反する直江状を世に送り出したと言いたいです。

イメージ 1

PVアクセスランキング にほんブログ村

閉じる コメント(1)

顔アイコン

> コトノハ★美優さん
すみません。自動変換された文字を全く注意していませんでした。
すぐに訂正します。

2016/8/31(水) 午後 6:53 [ 上から目線 ]


.
上から目線
上から目線
非公開 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

過去の記事一覧

標準グループ

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

ブログバナー

友だち(2)
  • 土佐文旦
  • 湖池健彦 Essay
友だち一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事