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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜真田丸:三谷さんが忠勝の隠居の理由竹とんぼ作りでのケガとした理由〜
      サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編 
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『NHK大河ドラマ 真田丸』第38回放送『昌幸』では、本多忠勝が二人の孫(仙千代と百助)のために竹とんぼをつくってあげている時、あやまって小刀で人差し指にかすり傷をおってしまいます。
忠勝はこのことで、未だかつて戦場でもケガをしたことがない自分が、こんなことでケガをするのは老いたる証拠と悟り、家康に隠居を申し入れ、受諾されましたよね。

ですがこの忠勝が指をケガしたことで隠居したという件については、今に伝えられる逸話の内容とはかなり違っています。

ではなぜ逸話とは異なるかたちで忠勝が隠居したという設定に変えた場面を描いたのでしょう?

恐らく、ちょっとシャレ気の分かる方ならその理由にお気づきだとは思いますが、今回はこの場面に拘ってみたいと思います。

まずは基本となる情報からですが、本多忠勝 - Wikipediaには以下のような記述があります。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは家康本軍に従軍した。但し、本多本隊は嫡男の忠政が率いており、忠勝は徳川本陣にあって、徳川恩顧の武将の監視役にあったともいわれる。前哨戦ともいえる竹ヶ鼻城攻めや岐阜城攻めに参戦し、又、吉川広家など諸大名に井伊直政と連署の書状を送って東軍方につける工作にも活躍した。本戦でも奮戦し、僅かな手勢で90にも及ぶ首級をあげた。この功績により、慶長6年(1601年)、伊勢国桑名藩(三重県桑名市)10万石に移されると、旧領・大多喜は次男・本多忠朝に別家5万石で与えられた。これは一説に家康が忠勝に対してさらに5万石を増領しようとしたが、忠勝が固辞したために家康が次男に与えたとされている。
忠勝は桑名藩の藩政を確立するため、直ちに城郭を修築し、慶長の町割りを断行し、東海道宿場の整備を行い、桑名藩創設の名君と仰がれている。晩年は、戦乱の収束により本多正純などの若く文治に優れた者(吏僚派)が家康・秀忠の側近として台頭し、忠勝自身も慶長9年(1604年)頃から病にかかるようになり、江戸幕府の中枢からは遠ざかっている。
一言:豊臣政権が天下統一以前には武闘派の加藤清正や福島正則らを重用していたが、天下統一後は石田三成のような政治手腕に長けた人材を重用したのと同じように、家康もまた天下を手中にすると同じ経緯で武闘派の本多忠勝のうよな武将に代えて政務に長けた人物を中枢部に置くようになったんですね。)

慶長9年に先述のように病にかかり隠居を申し出るも、この際は家康に慰留されている。その後、慶長12年には眼病を煩い、慶長14年1609年6月、嫡男・本多忠政家督を譲って隠居する。
慶長15年(1610年)10月18日に桑名で死去した。享年63。
この際に重臣中根忠実梶原忠両名が殉死し、忠勝の左右に埋葬された。
忠勝は臨終に際して「侍は首取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず。主君と枕を並べて討死を遂げ、忠節を守るを指して侍という(略)」という言葉を遺している

【忠勝隠居についての逸話】
忠勝が死ぬ数日前、小刀で自分の持ち物に名前を彫っていた時、手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまった。忠勝は「本多忠勝も傷を負ったら終わりだな。」と呟き、その言葉通りになったという。

【遺言・辞世の句】
遺書の一節「侍は首を取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討ち死にを遂げ、忠節を守るを指して侍という」と、辞世の句「死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば 」は、晩年は不遇であったとされながらも、主君・家康への変わらぬ忠誠心の大きさを物語っている。

以上のように忠勝が隠居の理由としたのは眼病が直接の原因で、逸話にある傷をおったことについても自分の持ち物に名前を彫っていた時であり、孫のための竹とんぼを作っている時ではありません。

ではなぜ忠勝がケガをおった逸話の内容を変えて竹とんぼを作っている時にケガをしたという話に変えたのかというと、
「竹とんぼ作りで切り傷」を何度も繰り返して言って短縮して行くと、「竹とんぼ切り傷」→「・・・とんぼ切・・・」バンザーイ!ということになるからです。

まだピンと来る連想ができませんか?

ではより詳しく説明しましょう。
ご存じの方も多いと思いますが、忠勝は天下無双の槍使いでした。
そして彼が愛用した槍の名が蜻蛉切という名なのです。
ドラマの中でも家康がまだ西の辺りで一波乱あるかもしれないという内容の言葉を語ると、忠勝は「その折には蜻蛉切を持ってはせ参じます。」などと殊更のように答えていました。

ということで、「竹とんぼを作っていて指を切った。」を短縮すると愛槍の「蜻蛉切」の名になることから、自らの武具名にかかわることでケガをすることは、すなわち己の武器で自らがケガをすることにつながり、武将としてあってはならない不覚と関連づけたシャレを利かせた場面として三谷さんは描いたのでしょう。

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おはようございます。

アハ体験と言いましょうか…「竹とんぼで切傷」は「蜻蛉切」にかかっていたとは…納得しました。

2016/9/29(木) 午前 8:21 [ 東天紅 晃 ]

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> 東天紅 晃さん
納得のページとなってよかったです。
三谷さんはほんとうにお笑い的要素が好きですよね。

2016/9/30(金) 午前 4:38 [ 上から目線 ]


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