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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜真田丸:後藤又兵衛は裏切りと殺戮を繰り返した黒田長政から離れ大坂城へ
      サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編 
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『NHK大河ドラマ 真田丸』第41回放送『入場』では、徳川がいよいよ豊臣の滅亡を視野に入れて大坂攻めの動きを見せる中、豊臣方は諸国に散らばる浪人などを大阪城へと集結させて、徳川を迎え撃つための準備を整えます。
そんな大阪城に集結する侍などの中の一人として後籐基次(ごとう もとつぐ: 又兵衛)も登場し、続々と集結する他の侍を蹴散らすかのように「どけ、どけ!」を連呼しながら大阪城に入場していましたよね。
一見するといかにも高慢な武将として描かれ、老人の姿で後から入城して来た幸村(信繁)に対して敵意丸出しの雰囲気を醸し出していましたね。
これは、後籐又兵衛を演じる哀川翔さんらしいキャラクターとも言えます。

果たして後籐又兵衛とは、ドラマで描かれるような、高慢な武将だったのでしょうか?

後藤 基次(ごとう もとつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将黒田氏豊臣氏の家臣。通称後藤 又兵衛(ごとう またべえ)。黒田孝高(如水)、黒田長政豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで豪傑な英雄として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられるそうです。

後藤又兵衛が大坂冬の陣を前にして大阪城に入城する以前に仕えていた主君は、戦後武将の中でも最も有名な武将の一人である黒田長政です。

後藤又兵衛についてご紹介する前に、まずはかつてその主君であった黒田長政について記したいと思います。
この後藤又兵衛の主君であった黒田長政は、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉などに活躍した戦国武将・黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男で、九州平定文禄・慶長の役で活躍した。特に関ヶ原の戦いでは東軍につき大きな戦功を挙げたことから、徳川家康より筑前国名島に52万3千余の大封を受け、福岡藩を立藩し、初代藩主となった。父の孝高と同じくキリシタン大名でした。しかし、家康がキリスト教に対する禁教令を発するや、ただちに棄教したことから、真の信仰心を持つ人物ではなかったと言えるでしょう。

天正15年(1587年)の九州平定では、長政自身は日向財部城攻めで功績を挙げた。戦後、父子の功績をあわせて孝高に豊前国中津に12万5,000石が与えられた。しかし豊前の国人勢力を懐柔するのは困難であった。その中の有力領主の一人・城井鎮房(宇都宮鎮房)は秀吉の出陣要請に対して、病気と称して自身は出陣せず、息子の城井朝房に僅かな手勢を付けて参陣させた。このような鎮房の態度に秀吉は不信を抱き、以後の豊前国の治世の困難を憂慮して九州平定後、鎮房に伊予国への移封を命ずる。移封は加増を伴ったものであるが鎮房は先祖伝来の地に固執して朱印状の受け取りを拒否し、秀吉の怒りを買うに至る。
この手こずっていた城井鎮房に対して長政は、鎮房自身を攻め落とすことが困難と知るやその周辺の勢力を各個撃破して勢力の優位性を確保すると、鎮房は長政に対して13歳になる娘・鶴姫を人質に差すことで恭順を誓いますが秀吉の鎮房に対する怒りは変わっていなかったために、秀吉の承認を得ることは出来なかった。
そこで長政は秀吉に対する忠義を示すために城井家の完全消滅を図り、黒田勢は鎮房を謀殺した後もその父をはじめとして一族を謀殺して行き、最終的には人質として差し出されていた幼い鶴姫を侍女と共に河原で磔(はりつけ)にして処刑します。
その後天正17年(1589年)、父:黒田孝高(官兵衛・如水)隠居したために家督相続ます。

文禄元年(1592年から行なわれた秀吉朝鮮出兵でも数々の武功を挙げますが、同時に吏僚である石田三成や小西行長らと対立した人物です。
ちなみ:朝鮮での加藤清正のトラ退治は、実際には黒田長政とその家臣によるものだそうです。)
その後秀吉が死去すると、三成ら文治派との路線対立から五大老徳川家康に接近し、先に結婚していた蜂須賀正勝の娘・糸姫と離別し、家康の養女・栄姫保科正直の娘)を新たに正室に迎え、家康に対する恭順を明確に示した長政は、外様ながら文字通り徳川家の重臣となり、慶長4年(1599年)閏3月に前田利家が死去すると、福島正則や加藤清正ら武断派(いわゆる七将)と共に石田三成を襲撃しました。

慶長5年(1600年)に家康が会津の上杉景勝討伐(会津征伐)の兵を起すと家康に従って出陣し、出兵中に三成らが大坂で西軍を率いて挙兵すると、東軍の武将として関ヶ原の戦いにおいて戦う。本戦における黒田長政軍の活躍は凄まじく、家臣の菅正利の鉄砲隊などを従え、切り込み隊長として西軍に猛攻を加え、三成の家老・島清興を討ち取り、さらに父・如水譲りの調略においても親戚でもあった平岡頼勝らを通じ、西軍の小早川秀秋吉川広家など諸将の寝返りを交渉する役目も務めており、それらの戦功により戦後、家康から御感状を賜り、関ヶ原の戦い一番の功労者として、52万3,000余石の大封を与えられ、子々孫々まで罪を免除するというお墨付きをも得て、戦後豊前国より海外貿易の大湊、博多の津を要する筑前国に入府し、初代福岡藩主となります

このように黒田長政は、戦国武将として歴史のキーポイントで活躍した名高い猛将ですが、その生き様は、常に時代の覇者(秀吉や家康)に身を寄せるためには、およそキリシタン大名という現代の私達がイメージする信仰心に厚い人物像とはほど遠い裏切りと殺戮を繰り返した人物で、私的には最も嫌いな人物像です。
ちなみに:後に長政は徳川家第二代将軍秀忠の側近となり、松平を名乗ることを許されたそうです。松平は時代劇などで主役となる人物が多く居ますが、その人物が長政の血を引く者だと考えれる時、それだけでイメージとしてかなり悪い印象に変わってしまいます。)
そんな主君に仕えていたのが後藤又兵衛です。
これでやっと本題の後藤又兵衛についての話となります。

後藤又兵衛については諸説あり、定かではありませんが、『大日本史』などによると、永禄3年(1560年)に播磨国姫路近郊の神東郡山田村に生まれる。父は別所氏家臣で、後に小寺政職の下にいた後藤新左衛門)の次男として生まれたという説が有力なようです。

後藤又兵衛が当時の記録に残る具体的な足跡が現れるようになるのは、天正14年(1586年)、九州征伐の宇留津城攻めの頃からで、戸次川の戦いにおいてそれまで仕えていた仙石秀久が島津家久に大敗し、領国の讃岐国に逃げ帰った後には、黒田孝高(官兵衛・如水)の重臣である栗山利安の与力となり、黒田家に100石で仕えます。
領地替えを巡って徹底抗戦を行った城井氏との戦いでは、吉田長利と共に途中で黒田長政に退却を勧めるが聞き入れられずに敗北を喫し、天正15年(1587年)12月の長岩城攻めの際には瀕死の重傷を負います。
文禄元年(1592年)から始まる朝鮮出兵にも従軍し、第二次晋州城攻防戦では亀甲車なる装甲車を作って城壁を突き崩し、加藤清正配下の森本一久らと一番乗りを競ったそうです。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは石田三成家臣の剛槍使い、大橋掃部を一騎討ちで討ち取る武功を挙げ、戦後は黒田家重臣の一人として筑前六端城の一つ、大隈城(益富城)の城主となり、10,000石〜16,000石の所領を与られたとされます。
 







以上の記述から、又兵衛が歴戦の猛将であることは一目瞭然ですが、
如水(孝高の法号)の死から2年後の慶長11年(1606年)、基次(又兵衛)は一族揃って黒田長政が後を継いだ黒田家を出奔します。
これは基次(又兵衛)が他国の細川氏や池田氏と頻繁に書状を交わしていたことに原因があったとされます。
黒田長政嫌いの私は思うに、恐らく又兵衛は、主君であった黒田長政の非道な生き様に反感を抱いていたために、黒田家を出奔したのではないでしょうか。
出奔後の当初は豊前国細川忠興を頼った又兵衛でしたが、元から関係がこじれていた黒田と細川家の両家が一触即発の状況となると、徳川家康などの仲裁が入ったことにより細川家を退去します。
その後、基次(又兵衛)の智勇を惜しんで福島正則前田利長結城秀康などから召し出しがかかるが、長政により「奉公構」がなされていたため実現しませんでした。
一旦故郷である播磨国に戻り、領主となっていた池田輝政を介して岡山池田忠継に仕えますが、「奉公構」の影響で慶長16年(1611年)より京都で浪人生活を送ることになったのです(浪人した時期は慶長18年(1613年)6月、池田輝政の死後とも)。

慶長16年には基次の黒田家への帰参問題が起こり、長政は幕府を通して交渉を行いますが、基次と連絡がうまくとれず実現することはなかった。
やっぱり又兵衛は長政が嫌いだったんじゃないでしょうか?

以上の事柄を見る限り、後藤又兵衛という武将は決して高慢なだけの武将ではかく、むしろ好感の持てる武将だったと思えます。

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後藤又兵衛を演じる哀川翔さん

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