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〜真田丸:初の名はなぜ初なのか?から見えて来る信長と市・茶々出生の闇?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
前ページでは淀殿の妹:初(常高院)が、キリシタンだったことをお話しました。
今回はそもそも初(常高院)はなぜ初という名だったのか?についてのお話です。
なぜ浅井三姉妹の次女の名が初なのか?
そんな素朴な疑問を持ったことで、こんどは初(常高院)の姉:淀殿(茶々)にまつわる新たなる闇?があるらしいことが見えて来ました。
それは浅井三姉妹の母:市と織田信長に起因する闇?だったのです。 浅井三姉妹の母:市の兄、つまり叔父にあたる織田信長は、その人物を称して時代劇などでもよく、「うつけ」とか「たわけ」と呼ばれることが多くありますが、
この「たわけ」は近親相姦を意味する言葉だったそうで、その相手がお市だったといわれています。 お市は昔の婚姻の中では遅い方で20代で浅井長政に嫁ぎます。 長女の茶々はお市と長政の実子ではなく信長との間の子供だったのではという一説もあります。 たしか、初の名付け親は長政の父の浅井久政という俗説があり、久政は茶々の事を浅井の子ではなく信長との間に出来た子だったというのを知っていて、浅井家の初めての子という意味で「初」の名前を付けたという俗説もあります。 淀殿の生年は、1569年生まれと推測されていますが、1566年説、1567年説があります、
もし、66年、67年説のどちらかが正しいとすれば、母親のお市の方が浅井家に嫁いだのが1567年9月ですから、浅井長政の娘では無いと言う事になります。 その場合、父親は誰なのかとなりますが、その父親として織田信長ではないかという俗説があります。
また、お市は長政が初婚ではなく、茶々は連れ子だったという俗説もあります。 だから、浅井の人間ではないということで浅井家の菩提寺(徳勝寺)に入れられていないのかも。 織田信長の妹であり、絶世の美人として後世にも伝えられるお市の方は、信長の妹であったがために戦国の世で数奇な運命に翻弄され、小谷城で夫:浅井長政と共に最後を迎えます。
しかも兄である織田信長の命によって、
後に市の娘:茶々を秀吉が側室として迎えたのは、秀吉の市に対する恋心があってのことだったいう事が広く知られています。
そんな市が兄である信長と××相関にあっただなんて、そしてそのことによって生まれた子が茶々(淀殿)だったなって、その上信長によって政争の具にされただなんて、酷すぎる話ですよね。
秀吉の側室となった茶々がその後秀吉の子ではない子を産み、その子を秀吉の子として豊臣家の嫡男:秀頼とし、その果てに大阪城において親子ともども自決した。
その全てが事実だったとしたら、茶々(淀殿)がドラマで描かれるような嫌な女になり、それにふさわしい生き方をしたとしても不思議はありません。
ですがそれだけに尚更、豊臣秀頼の生涯は余りにも不憫な気がします。
皆さんは茶々出生の闇を信じますか?そしてそのことをどう思いますか?
ちょっと救いようのないお話になったので、初役のはいだしょうこさんのお話を紹介しておきます。
【はいだしょうこさんへのインタビュー記事】
元うたのおねえさんで歌手のはいだしょうこさんが、堺雅人さん主演のNHK大河ドラマ「真田丸」に出演する。
役作りで意識していることは?
歴史の中でも、茶々や、江は、クローズアップされることが多いですが、なかなか初が前に出ることが少ないので、初めはどんな役どころかなと思っていました。でも、とても重要な役割を任せられたり、茶々の相談役にもなっていたり、自分から前には出ないけれど、常識人で落ち着いた人物。ということで、難しい役だな……と思いました。信繁さんのせりふに「常高院(初)様は常に平常心、曇りなき目ですべてを見ておられます」とあるように、冷静で、落ち着いた初を演じられるように、緊張感の中でも、とにかく心をゆったりと、自分の気持ちも平常心に持っていくことを意識しました。
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茶々の輿入れに描かれているのは、織田家と豊臣家の家紋で浅井の家紋が描かれていなかった事、信長が浅井家に訪問した時、お市と長時間二人で過ごしたとか。そもそも、お市は信長の妹ではなく、いとこという説もありますし。果たして真実はどうなのでしょうか?
2016/11/6(日) 午後 2:41
> コトノハ★美優さん
貴重なコメントありがとうございます。
ということは、市と信長が兄弟でない以上、二人が男女の関係であったとしても、道徳上の問題はない。という説があるのですね。
2016/11/6(日) 午後 5:06 [ 上から目線 ]
そうですね。信長とお市は従妹という説はあります。一方では同腹の兄妹という説もあります。茶々の出生は浅井家の書物に書かれておらず、初はしっかり記録に残っています。そのことから、信長とお市は道徳上の問題なく、茶々を儲けた可能性はあります。そして、豊臣秀吉が息子・秀頼にお拾様と宛てた手紙が何通か残っていますが、自分の子供にお拾様と書いた理由は信長の孫にあたるからだとか?
2016/11/7(月) 午後 0:31
> コトノハ★美優さん
そうなんですか、信長の孫がねぇ?
丁寧なご説明ありがとうございます。
大変参考になりました。ありがとうございます。
2016/11/7(月) 午後 6:00 [ 上から目線 ]