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〜真田丸:大坂冬の陣前の大阪城に浪人10万人って現代のディズニー状態?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』』第43回放送『軍議』の中で淀殿は初(常高院)に対して徳川との最終決戦を前にして「今、この城に浪人たちが10万人いるのですよ。」と語りました。
ドラマの中でも雑兵は雑魚寝状態で、真田幸村を含めた名のある武将ですら相部屋であったことが描かれました。
この当時の大坂城に10万人の浪人が集まるということはどのような光景だったのでしょう?
例えば現代で言えば、東京ディズニーランド、シー合わせて一日の ...- Yahoo!知恵袋によれば、2013年度の東京ディズニーランド(面積51万m2)、シー(面積49万m2)合わせて一日の来場者数は、1日平均8万人以上とされています。
対して敷地面積が東京ディズニーランド+シーに比べて狭い大坂のUSJ(面積39ha=3万9千m2)では8万人入った事は過去に2〜3度しかありません。
ゴールデンウィークやハロウィンなどの混雑する時で約6万人です。5万人を超えてくると入場制限かかるそうです。 しかし
これに対して大阪城は、豊臣時代の大阪城は今の敷地の何倍くらい ...- Yahoo!知恵袋によれば、
現在の”大坂城”域は東が環状線大坂城公園駅〜森の宮駅に沿っていて、北は平野川沿い、西は大阪府庁の東、南が法円坂沿いに囲まれた東西1138米・南北923米の範囲とします。
この平面積は約1,05平方Kmです。 豊臣期の大坂城の最大範囲は、慶長19年(1614)の{大坂冬の陣}で徳川家康軍が包囲した範囲、いわゆる”惣構え”の範囲と考えますから、この東は環状線に沿って”玉造駅”まで、北は平野川・堂島川の左岸域・西は天神橋から南に向かう筋・南は玉造駅南から西に向う筋に囲まれた範囲となります。 この範囲は概算で2千米平方ですから4平方Kmであり、現在の城域面積で割れば、おおよそ3・81倍が大坂城であったと考えます。 ということは大坂冬の陣の頃の大阪城の惣構えの面積は、約40万m2ということになります。
つまり大坂冬の陣前の大阪城惣構えの面積(約40万m2)には、
約10万人の浪人。
現代(2013年)の東京ディズニーランド+シー(面積約100万m2)には、
1日に平均約8万人以上の人。
大坂のUSJ(面積39ha=39万m2)には
混雑する日で約6万人の人。
ということになります。
しかもこれらを単純には比較できません。
大阪城には浪人だけではなく、その親族も供っていた者もいたでしょうし、浪人を慰める芸人や女性の存在もあったでしょう。加えて城内には女性や子供の姿もあったことでしょう。
それに比べて東京ディズニーランドや大坂のUSJの入場者数は老若男女を合わせた人数であり、一日を通して全ての人数がいたわけではありません。
その事を考えれば、これらの人数を比較するには少なくとも大坂冬の陣前の大阪城には、浪人の人数の数倍(20万人以上?)の人が居たと思えます。
(一言:単純に言えれば、大坂冬の陣前の大阪城には現代の普段の東京ディズニーランドの人数がひしめいていたと考えていいのでしょうか?ディズニーランドに行ったことないけどね。)
当時は現代のテーマパークのように多数の飲食店などもちろんありません。
現代ほど豊食の時代ではないにしろ、この途方もない人数の食料(兵糧)や嗜好品(酒、菓子など)を確保するには想像を絶する周辺地域(あるいは全国)からの食料調達(略奪?)があったことは容易に想像できます。
『NHK大河ドラマ 真田丸』』の中では、幸村が到着するや堺の港を押さえ、大坂周辺の徳川方の兵糧を押さえるように進言していましたし、その後豊臣家の大野治長らは2年でも籠城できるなどと言ってましたが、そんなわけがないことは、これで想像できると思います。
皆さんは、大坂冬の陣前の大阪城内の人の密度を想像できますか?その武具の数を。
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