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〜真田丸:博労淵は幸村が有楽斎への情報漏えいで陥落した?結果、大砲が〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』第45回放送『完封』では、大坂冬の陣の前哨戦で、木津川口や今福の砦が、そこをあずかる大将が不在の時などの、守備が手薄な時に限って攻め落とされていることに不信感を持った毛利勝永が、豊臣方の総指揮官となっていた真田幸村に対して大阪城内に徳川に内通する者がいるのではないかと語ります。
この毛利勝永の言葉を受けて幸村は、有楽斎を怪しいと睨み、大坂城の西側にある博労淵が手薄であることを、わざと有楽斎に漏らします。
するとその後すぐに博労淵が徳川方の手によって攻め落とされたことを知り、幸村は徳川に内通しているのが有楽斎であることを確信するというストーリーが描かれました。
さてこの博労淵砦は、実際にはどのような経緯によって徳川方に落とされたのでしょう?
上図でわかるように博労淵砦は、先にご紹介した木津川口砦より更に西側(海側)にあった砦でした。
この位置関係だけを見ただけでも、先に木津川口砦が落ちた以上は、同じ大坂城の西側にある砦でも、より離れた距離にある博労淵は徳川軍の中に取り残された状況にあり、陥落は時間の問題と素人目にも想像できます。
なのでドラマで描かれたように、わざわざ幸村が有楽斎に博労淵が手薄であることを漏らすまでもなく、徳川方は独自の判断で博労淵を落しにかかるのではないかと思われますが、ドラマのストーリー上、有楽斎が徳川方に内通する人物であることを示すために、三谷さんは博労淵の陥落を利用したと思ってもいいのではないでしょうか。
その証拠に、博労淵の戦い - Wikipediaには以下のように記されています。
豊臣方は、木津川口砦とともに、木津川沿岸の守備のため博労淵(現在の大阪市西区立売堀付近、西長堀駅の北側)に砦を築き、薄田兼相が守将として兵700で守備しており、11月19日の木津川口砦陥落後もそのままになっていました。
仕寄(しより)は11月28日に完成し、水野がこれを家康に報告します。
蜂須賀は木津川口砦攻略後も同地に布陣していたのですが、水野が博労淵砦を攻略する前に砦を落とそうと考え、家康に「博労淵の守備兵が荻に隠れて銃撃してくるため、付近一帯の荻を刈り取らせてほしい」と願い出たのですが、実際にはそれを口実に博労淵砦を攻略しようと考えての申し出だったのです。
このため蜂須賀は許可を得ないままに計画の実行を早め、夜中のうちに木津川口に仕寄(しより:城を見下ろす地形に付城(つけじろ)を築いた場所)を構築し攻撃準備に取りかかったのです。
ところが、11月29日、家康より正式な命を受けた石川勢は、夜明けと共に州を渡って進撃しようとしますが、ちょうど満潮時だったため渡河できなかったため、九鬼守隆から船3隻を借り受け、狗子島の北方から渡河、砦に攻撃を仕掛けた。蜂須賀勢も南方から攻撃をかけます。
一方の豊臣方の博労淵砦を守備役の薄田兼相は前夜から遊女屋に泊まり込んで不在だったため、守備兵は統制が取れず、砦はあっさりと陥落ししてしまいます。
(一言:何とのん気な、薄田兼相は木津川口砦の陥落を知らなかったのでしょうか?いずれにせよこれこそが、淀殿らがドラマの中で危惧していた、しょせん金で雇われた傭兵の信用できない所ですよね。)
留守将の平子正貞は、葦原に逃げ潜んでいたところを池田忠雄の家臣に見つかり(ちょうど水くみに通りかかったところに戦闘に出くわし、蜂須賀勢に交じって上陸していた。池田忠雄は蜂須賀至鎮の婿。)討ち取られた。
薄田はこの失態により「橙武者」と味方から嘲りをうけた。
ちなみに「橙武者」の意味はと言うと、
橙は、「鏡餅の飾りなどに使われるが食べられない」から転じて「見てくれだけで役に立たない」という意味です。
以上が博労淵砦が陥落した史実における経緯であり、ドラマで描かれたように、幸村が有楽斎に砦の手薄さをわざと漏らしたことで、その情報を有楽斎が徳川方にリークした結果として博労淵砦が陥落したのではなかったのですね。
重要なことは博労淵砦の陥落により、大砲で大坂城を攻撃するための仕寄(しより:塹壕。城を見下ろす地形に付城(つけじろ)を築いた場所)を狗子島(木津川の中州、現在の江之子島)に築くことを容易にし、その情報を知る機会とその場の奪還の機会を失しなったことにあります。
つまり、博労淵砦や木津川口砦の陥落が無ければ、大坂城の西の丸に砲弾を撃ち込まれ、これに恐れ慄いた淀殿らが、家康からの和睦交渉の申し入れを受け入れることも無かったとも思えます。
そしてもしも歴史上において豊臣方がいち早く徳川方による大砲攻撃の計画を察知し、これを奪取して事なきを得、豊臣家と徳川家との間に大坂の陣における和睦がなかったとしたら、真田幸村は家康を討ち取り、真田幸村の家も後々まで続いていたかもしれないのです。
(一言:「そこまでの後の世の歴史の変化は有り得ないだろう!」と、あなたは言い切れますか?)
増福寺にある薄田兼相のお墓
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