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〜真田丸:標高78mにある?豊臣期の大坂城天守の鯱に、砲弾は届くのか?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』第46回放送『砲弾』では、徳川方の大筒から撃たれた砲弾が、大坂城天主の鯱(しゃちほこ)に着弾したことで、撃ち落とされた鯱(しゃちほこ)が淀殿の前を行く侍女たちの頭上の屋根を突き破って落下し、絶命してしまうという衝撃的なシーンが描かれました。
その映像から想像するに、砲弾は以下の図の赤色矢印ように飛来し、それによって撃ち落とされた鯱(しゃちほこ)が黄色矢印のように落下した後に屋根を突き破り、侍女の上に落ちたと言うのが、ドラマ上のシーンだったのではないでしょうか?
豊臣時代の大阪城に砲弾が飛来する図
豊臣時代の大阪城に砲弾が飛来する図の本丸を拡大
果たして当時の大筒は、大坂城天主の鯱(しゃちほこ)に着弾することが可能なのでしょうか?
備前島からの大阪城.には、
「大坂冬の陣の際、徳川方が当時、河内平野を流れあがってきた大和川と淀川本流(当時)の合流地点にできた中州状の場所にあった備前島(現在の都島区網島町あたり)から大砲で大坂城本丸を攻撃したことでも知られている。」との記述があります。
つまり大坂冬の陣において徳川方の大筒の砲弾が、大坂城北側にある大和川と淀川本流(当時)の合流地点にできた中州状の地形という低い標高の場所から放たれたことにより、上町台地の上に築かれた大坂城本丸の淀殿の居住間に居た侍女8人を殺傷したのです。
しかし〜真田丸:大坂冬の陣での着弾した砲弾の重さ・大きさ・射程距離を具体的に〜 でご紹介したように、その大筒の砲弾は、重さ約4㎏、直径わずか9cmほどの金属球であることから、ただ砲弾が命中しただけでは、8人が死傷するような被害になるということが考えにくいことから、
第46回放送『砲弾』では、その砲弾が大坂城天主の頂上にある鯱(しゃちほこ)に命中したことで鯱(しゃちほこ)が侍女の頭上に落下して侍女が死亡したという想定が描かれたのだと思われます。
これを図で示すと以下のようになります。
しかし大和川と淀川本流(当時)の合流地点にできた川の中州から上町台地の上の大阪城天主の鯱(しゃちほこ)までは、700mの距離ばかりではなく、相当な標高差があったと思われます。
いったい大和川と淀川本流(当時)の合流地点にできた川の中州から上町台地の上の大阪城天主の鯱(しゃちほこ)までは、どれほどの標高差があるのでしょうか?
上町台地 - Wikipediaによれば、
「(上町)台地の標高は最も高い大阪城天守閣跡で38メートルであり、北部はストンと淀川水系の大川に落ち込み、・・・・・」と記されています。
「昭和34(1959)年、大阪市と大阪市教育委員会、大阪読売新聞社は、「大坂城総合学術調査団」を組織し、大阪城の謎の解明に乗り出しました。その調査のなかで、・・・・・地下7.3mの位置で石垣が発見されました。。」という記述と、以下のような図が紹介されています。
このことから上図にある豊臣時代の大阪城天主の建つ地盤が、上町台地 - Wikipediaに記されているところの上町台地の最も高い標高38メートルの大阪城天守閣跡だとするならば、豊臣時代の大阪城天主の頂点にある鯱(しゃちほこ)は、標高約78mの位置にあったということになります。
果たして当時の射程距離1km前後の大筒には、その砲弾が放物線の弾道を描いて、700m離れた標高差78mの標的に当てうる性能があったのでしょうか?
大筒設置にあたっては、砲台を築いたようですが、恐らくその砲台の高さは、20mに達することはなかっと思われます。
残念ながら砲弾の性能を科学的に知りうる能力の無い私には、少なくとも豊臣時代の大阪城天主より約20m高い、徳川時代の大阪城天主の鯱(しゃちほこ)よりは届きうる可能性は高い。
としか言えません。残念!
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2016/11/28(月) 午後 4:23 [ 中路正樹 ]
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