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〜真田丸:塙 団右衛門による蜂須賀至鎮陣営への夜襲は、独断ではなく必然〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
〜真田丸:塙 団右衛門は加藤嘉明のイケズに合いながらも大坂城へ入城し〜でも記したように、徳川からの和議が迫った頃に本町橋の夜戦で、志願して夜襲の許可を得た塙 団右衛門は、11月17日、米田監物と共に蜂須賀至鎮の陣に夜襲をし、その家臣中村右近を討ち取るなど戦果をあげました。
しかし『NHK大河ドラマ 真田丸』第46回放送『砲弾』では、塙 団右衛門が本町で夜襲をかけることを聞きつけた後藤又兵衛・毛利勝永・木村重成らが、大坂城に引きこもったままの日々で溜まったうさを晴らしに、塙 団右衛門の計画に便乗して出陣することを決意します。
そのことを長宗我部盛親からの訴えで知った幸村は、彼らの勝手な行動をとがめて阻止するどころか、秀頼や淀殿に対する思いから幸村自身にもわだかまりを生じていために、やはり塙 団右衛門の計画に便乗して夜戦に加わり、大暴れをするという型破りな設定で描きました。
このような設定はいくらなんでも有り得ないとものだとは思いますが、視聴率を得るために娯楽性を割り増しした番組として見る姿勢があれば、何ら問題のある描き方だとは思えません。
それはそれとして、塙 団右衛門による本町橋の夜戦で襲撃した徳川方の陣営は、蜂須賀至鎮の陣営でした。
ではなぜ塙 団右衛門は、夜襲すべき相手を蜂須賀至鎮の陣営としたのでしょうか?
それはその夜戦を行う以前に豊臣方が徳川方によって、手痛い目にあった大坂冬の陣における2つの前哨戦を振り返ってみれば、塙 団右衛門が蜂須賀至鎮の陣営を標的にしたことの必然性が自ずと見えて来ます。
〜真田丸:木津川口の戦いでの明石全登軍の敗北は大したことではない?〜でご紹介したように、
また、〜真田丸:博労淵は幸村が有楽斎への情報漏えいで陥落した?結果、大砲が〜 でご紹介したように、博労淵での戦いでは、大坂城を大筒で砲撃するために水野勝成と永井直勝に命じて狗子島(木津川の中州、現在の江之子島)に仕寄(しより:塹壕を築いた場所)を築かせていた時、狗子島に向かう上で通過点となる博労淵砦を守備する任にあった薄田兼相が前夜から遊女屋に泊まり込んで不在だったため、守備兵は統制が取れず、蜂須賀至鎮らによって砦はあっさりと陥落していまいました。
つまり大坂城の西側に位置する2つの大坂方の砦の陥落には、蜂須賀至鎮が係っていたのです。
当然豊臣方にしてみれば、一度ならずも二度も砦を陥落させた武将である蜂須賀至鎮の名は、
大坂城内でも噂され、豊臣方の上層部もこの蜂須賀至鎮を何とかしなければならないと考えていたはずです。
塙 団右衛門が元主君であった徳川方の加藤嘉明を見返すための武功をあげるためには、絶好のターゲットですし、塙 団右衛門に対してではなくとも、豊臣方の上層部からは、「蜂須賀至鎮を討て!」という指令は武将たちに伝えていたと思われます。
以上のことから、塙 団右衛門は独断で蜂須賀至鎮の陣営を夜襲することを決めたのではなく、豊臣方の武将の内の誰かが行わなければならなかった蜂須賀至鎮の陣営への攻撃を、自ら志願してその任にあたったというのが、塙 団右衛門が行った本町橋の夜戦だったと言えます。
もちろんその夜戦に真田幸村の姿はなかったでしょうが・・・・。
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