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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜真田丸:なぜ秀忠は凡庸で実直な将軍になった?そこには兄や秀次の死が〜
       サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編          
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前回、前々回と、徳川秀忠について記し、その人物像を凡庸、凡庸と連呼しました。
そしてそれ以前のページでも、おバカとも秀忠のことを記しました。
ですが改めて秀忠とその周辺での出来事を振り返り、秀忠に対するこれまでの見方から視点を変えてみると、秀忠にはそのような人格にならなければならない必然性があったようにも思えます。
もしかしたら彼は、その生涯をかけて、凡庸で実直一辺倒な自分を演じていたとも。

今回なぜ秀忠は凡庸で実直な将軍になったのか?について記します。

前回のページでもご紹介しましたが、秀忠は家康の嫡男でもなければ正室の子でもなく、側室の子であり三男でした。そんな秀忠がなぜ徳川家の家督を継いだのか?
それにはまず二人の兄弟について触れる必要があるでしょう。

家康の嫡男:松平信康は家康の正室:築山殿であり、今川義元の姉の子、つまり姪であったと言われます。
1559年)3月6日、松平元康(後の徳川家康)の長男(嫡男)として駿府で生まれる。今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごしますが、桶狭間の戦いの後に徳川軍の捕虜となった鵜殿氏長氏次との人質交換により岡崎城に移ります。
1562年、家康織田信長による清洲同盟が成立すると、その両家の同盟の証として1567年、信康は信長の娘である徳姫と結婚。
共に9歳という幼い二人は、形式上の夫婦でしたが、家康は浜松城(浜松市中区)に移り、二人は岡崎城で暮らします。
そしてその年に信康元服して信長より偏諱の「」の字を、父・家康から「康」の字をそれぞれ与えられて信康と名乗り、1570年正式に岡崎城主となります。
信康は若い頃から勇猛果敢で、1575年長篠の戦いでは徳川軍の一手の大将として参加し、その後も武田氏との戦いでいくつもの軍功を挙げ、猛将として注目されます。
特に1577年遠江横須賀の戦いで退却時の殿軍を務め、武田軍大井川を越させなかったと伝わる活躍を見せ、岡崎衆を率いて家康をよく補佐したといいます。

とことがそんな優秀な家康の嫡男:信康が、切腹というかたちでこの世を去ります。
三河物語』によると、織田信長の娘である徳姫は今川の血を引く姑の築山殿との折り合いが悪く、
一言:信長は桶狭間の戦いで今川義元を討ったのですから、今川義元の姉の子である築山殿にしてみれば、信長の娘である徳姫に対して心良く思わないのは至極当然と言えます。)
その結果信康はヒステリックに母の悪口を口にする徳姫にあきれ返って全く取り合わなかったのでしょうか?徳姫は築山殿ばかりでなく信康とも不和になってしまいます。
その結果徳姫は、父・信長に対して12箇条の手紙を書き、使者として信長の元におもむく徳川家の重臣・酒井忠次に託します。
手紙には信康と不仲であること、築山殿は武田勝頼と内通した、と記されていたとされます。
信長は使者の忠次に事の真偽を問いますが、忠次は信康を全くかばわず、すべてを事実と認めてしまったのです。
一言:忠次は信康や築山殿をかばうことは、徳姫を悪く言う事に等しいと思い、思案の末徳姫の言い分を認めざるを得なかったのでしょう。よかれと思って、しかしその結果は・・・・・。)
この結果、信長は家康に信康の切腹を要求した。徳川家中では、信康への処断に対して反対する声が強く、信長との同盟破棄を主張する家臣もあったといいます。
そんな中養育係りの平岩親吉は、責任を自分が被り、自らの首を信長に差し出すことを求めますが、家康は、徳川家の老臣が既に認めてしまった以上、そのような小細工では信長の怒りを反らすことは出来ないと判断し、信康の処断を決断。
まず築山殿が二俣城(守将は大久保忠世)への護送中に佐鳴湖の畔で、徳川家家臣の岡本時仲野中重政により殺害された。さらに9月15日、事件以降の幽閉先であった二俣城(浜松市天竜区)にいた信康に切腹を命じたのです。

勇猛な武将として家康を補佐した優秀な嫡男でありながら、以上のような経緯で織田信長の怒りをかった松平信康が、切腹によってこの世を去った1579年に誕生したのが、徳川秀忠だったのです。
ちなみに秀忠の誕生は4月7日、信康の没年は10月5日とされます。
一言:信康の死より先に生まれた秀忠でしたが、この時家康は、秀忠が信康の生まれ変わりのように思えたのかもしれません。だからこそ凡庸である秀忠を容認し、早々に将軍の座につけることでその身の安泰を図ったのでは?家康は事あるごとに秀忠を叱りながらも、実は秀忠をとても愛していたとも思えます。)

次に家康の次男:結城秀康についてですが、
家康の正室・築山殿の奥女中を務めていましたが、家康の手が付いて秀康を身籠り、家明日の側室:於万の方(長勝院)となります。
家康は築山殿の悋気を恐れ、於万を重臣の本多重次のもとに預けます。
更に「秀康は双子で誕生した」との説があり、当時双子での出生は「畜生腹」と言われ忌み嫌われる存在でした。
秀康は、父・家康とは満3歳になるまで対面を果たせなかった。その対面も、あまりの冷遇に異母弟を不憫に思った兄・信康による取りなしで実現したとも言われます。
 冷遇の理由は、築山殿を憚ったためとも、双子で生まれてきたことにあるともされる。
天正7年(1579年)、武田勝頼との内通疑惑から、織田信長の命令により信康が切腹させられる(近年では信康が家康と対立したために切腹させられた、ともされる)。
このため、次男である秀康は本来ならば徳川氏の後継者となるはずであった。
しかし、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの後、家康と羽柴秀吉が和解するときの条件として、秀康は秀吉のもとへ養子(実際は人質)として差し出され、家康の後継者は異母弟の長松(後の徳川秀忠)とされます。
しかし天正17年(1589年)、秀吉に実子の鶴松が誕生すると、秀吉は鶴松を生後4ヶ月で豊臣氏の後継者として指名されます。そのため秀康は他の秀吉の養子同様に、他家へ養子に出されることとなります。
秀吉死後の1600年、関ヶ原の戦いの前哨戦である会津征伐に参戦。上杉景勝に呼応する形で石田三成が挙兵すると、家康は小山評定を開いて諸将とともに石田三成軍を討つべく西に引き返すことを決めます。
このとき家康本隊は東海道から、そして別働隊を秀忠が率いて中山道(東山道)を進軍することが決められ、秀康には家康らが西に引き返す間、景勝を牽制するという留守居の役目が与えられ、その重要な任を見事に果たします。
この武功により、関ヶ原の後、秀康は家康より下総結城10万1,000石から越前北庄67万石に加増移封されます。
1604年には松平氏に復することも許されたとも伝えられます。
1605年、権中納言に昇任し、1607年には伏見城番に任じられますが、病にかかり職務を全うできなくなったため3月1日に越前へ帰国し、閏4月8日に死去。享年34。死因は「当代記」により梅毒と伝えられます。

こうした経緯で秀忠の一番上の兄:信康が切腹した時に秀忠はまだ生まれたばかりでしたが、すぐ上の兄:秀康らの口から秀忠は、信康の顛末を聞き及んでいたと思えます。
また、側室の子であることから不遇であった秀康の様子を見るにつけ、秀忠は、天下人の不興を買えば例えその後継者であったとしても、切腹させられたり、他家へ養子に出されるなどの不遇な扱いを受けることを幼い頃より見て育ち、自身の立場の危うさをヒシヒシと感じていたのではないでしょうか?

秀忠の母は側室西郷局。母の実家・三河西郷氏土岐氏一族で、室町初期には三河守護代を務めたこともある名家であり、当時も三河国の有力な国人であった。乳母・大姥局によって養育されます。
長兄・信康は秀忠の生まれた年に切腹。そしてそれに先んじて信康の母であり、家康の正室である築山殿も処断されています。
次兄・秀康豊臣秀吉に養子として出され、のちに結城氏を継いだので、母親が三河国の名家出身である秀忠が実質的な世子として処遇されることとなったのです。

しかし秀忠は、豊臣秀吉の政権下で人質として秀吉のもとで寧らの庇護を受けながら暮らす中、秀吉の後継者と目されていた豊臣秀次が、秀吉の実子として秀頼が誕生するや、謀反の疑いを掛けられて自刃するという事件に遭遇します。
秀忠はまたしても天下人の強大な力と、その後継者としての立場がいかに危うい存在であるかを改めて思い知ることとなったのです。

このような秀忠が家康の真の後継者となるまでに、数々の次期後継者の悲惨な末路を、ある時は兄から、ある時は母から、ある時は養育役や側近などから、決してそうした後継者の悲惨な末路に至る轍を踏まないように、生まれた年に起きた長兄の事件から言い聞かされて育ち、自らもそうなってはならないという思いを強くしていったのかもしれません。
その結果が、凡庸であきれ返るほど実直だったという秀忠の人格を形成していったのかもしれません。
家康に褒められようとすることよりも、逆鱗に触れないことだけを肝に命じた人生を生きたと。

そして家康がこの世を去り、己の天下となるや、将軍の座を脅かす存在や、意に沿わない存在を次々と断罪し、自らの安泰を図ります。そのことが、徳川家繁栄に繋がると信じて。
正室:江の存在を軽んじることなく、多くの側室を持つこともなく、ひたすら石橋を叩いて渡るかのように。

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閉じる コメント(16)

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徳川秀忠は差詰め、徳川家の豊臣秀次でしょうかね?

2016/12/3(土) 午後 5:50 [ ヨシヒロ ]

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> ヨシヒロさん
武勇において凡庸という点では、秀忠も秀次も似ている気がします。
秀忠より秀次の方が優れた点は多々あったと思いますが、執念という意味では、やや秀忠に軍配が上がる気がします。
なにより、秀忠は家康の実子だったために、正式な後継者となりました。
秀次は不幸にして秀頼が生まれた時点で、命を繋ぐすべはなかったと思えます。

2016/12/3(土) 午後 6:10 [ 上から目線 ]

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上から目線さん。
秀頼が元服するまで自身が関白職を勤め元服したら関白職を譲ると公言していれば良かったのでは? そこまでしてもやはり、結局は同じ事でしたかね?

2016/12/3(土) 午後 8:48 [ ヨシヒロ ]

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> ヨシヒロさん
関白職を自らが譲ると言って、果たしてそのように事が進むかどうかが問題です。
取り巻きはできうる限り秀次を関白としてかつ着続けたいと思うのでは?
仮に一大名になったとしても、死期を目前にした秀吉には秀頼の将来に影を落とす存在としか映らなかったように思えます。
それにしても本当に秀次大好きさんですね。

2016/12/3(土) 午後 9:55 [ 上から目線 ]

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上から目線さん。
Wikipediaで豊臣秀次や結城秀康の事を調べたら二人とも非常に有能な人物で若くして亡くなっているからです。
豊臣秀吉や徳川家康には負けますが両名とも非常に惜しい人物だから興味を持っています。

2016/12/3(土) 午後 10:18 [ ヨシヒロ ]

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> ヨシヒロさん
なまじ有能だと、出る杭は打たれる。の諺があるように・・・・。
そして次期後継者がそこそこだとなおさら邪魔な存在に。

2016/12/3(土) 午後 10:24 [ 上から目線 ]

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上から目線さん。
豊臣秀次は徳川御三家みたいに分家すれば良かったのでは?そう思いたい所ですがそう上手くいかないのが人間社会ですからね…

2016/12/4(日) 午後 4:57 [ ヨシヒロ ]

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> ヨシヒロさん
三代将軍家光は、秀次の存在を許すほど甘っちょろい人物ではなかったと思えます。
例え豊臣政権がしばらく続いたとしても。

2016/12/4(日) 午後 6:14 [ 上から目線 ]

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上から目線さん。
家光ではなく秀吉では?

2016/12/4(日) 午後 8:23 [ ヨシヒロ ]

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> ヨシヒロさん
難しいですね、淀殿の意向もあることですから。
そして秀吉は淀殿にメロメロです。

2016/12/4(日) 午後 8:35 [ 上から目線 ]

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上から目線さん。
豊臣秀次も正室、側室合わせて30人いましたからね…
豊臣秀次が羨ましいです

2016/12/5(月) 午前 7:01 [ ヨシヒロ ]

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> ヨシヒロさん
以前にも同じコメントをしていましたね。
好きですね。

2016/12/5(月) 午前 7:15 [ 上から目線 ]

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上から目線さん。
女性が好きということですか?

2016/12/5(月) 午前 8:29 [ ヨシヒロ ]

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> ヨシヒロさん
もちろん。普通そんなに沢山いらないでしょう。
一人でも手を焼くのに。

2016/12/5(月) 午前 8:33 [ 上から目線 ]

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上から目線さん。
そりゃ、男なら誰しもハーレム暮らしに憧れるでしょう
最も、手を焼くのも分かる気がします

2016/12/5(月) 午前 10:23 [ ヨシヒロ ]

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> ヨシヒロさん
いいえ、私はステキな女性であれば1人で十分です。
ステキな女性であればね。
そうじゃなく肉欲に走るからそうなるのでしょ。

2016/12/5(月) 午後 5:43 [ 上から目線 ]


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