カメラとビデオを棒にくっつけて

堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

全体表示

[ リスト ]

〜真田丸:千姫は大坂夏の陣前、「江戸へ帰りたいのじゃ。」と思っていた?〜
       サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編          
近畿情報ブログランキング参加用リンク一覧  イメージ 2

『NHK大河ドラマ 真田丸』第48回放送『引鉄』では、大坂冬の陣の後、和睦によって一時休戦状態になると、大坂城内では決起にはやる浪人達の気を紛らわすために、それらの家族を城内に招きいれる事を、幸村は秀頼に嘆願して許されます。

家族や旧家臣たちとのつかの間の再会で浪人達は、家族や元家臣たちとの語らいにより、大坂城内は和やかな笑い声が響きます。

そんな中、幸村は甥(兄:信幸の子)らに会いに行くことを報告するため、秀頼・千姫・淀殿らに面会します。
淀殿:「何んだか、お城中が賑やかですね。」
幸村:「これより私は、甥たちに会うてまいります。」
淀殿:「甥?」
秀頼:「徳川についた真田の兄のこらか?」
幸村:「せっかくのおりなので、一度会おうと文を出しました。」
淀殿:「そのまま向こうについてはなりませんよ。」
幸村:「左衛門助は終生、豊臣家の家臣でございます。」
淀殿は幸村のこの言葉に満面の笑みを浮かべます。
秀頼:「肉親が敵味方に別れるということは、辛いものだ。」
幸村:「それを申せば、姫様の方がもっとお辛いめに。」
秀頼:「夫と実の父親が戦をしたのだ、さぞ苦しかっただろう。済まなかった。」
秀頼のこの言葉に、千姫は無言のまま微笑を浮かべ、首を左右に振ります。

この後秀頼は、前もって幸村の申し出によって、いずれは大坂を離れ、四国へ移る決意をしたことを淀殿と千姫に告げます。
その際秀頼は、妻である千姫にも四国へ移ることへの同意を求め、千姫もまた、二つ返事で「はい。」と即答します。

ところがこの後千姫は、廊下で幸村を見かけて呼び止めます。
千姫:「左衛門助!」
幸村:「姫様。」
千姫:「また戦になるのですか?」
幸村:「いずれは。」
千姫:「私が江戸へ戻るかわりに、戦をやめるよう、大御所様に掛け合ってはくれまいか?」
幸村:「姫様はいわば人質、戻す訳には行きません。」
千姫:「だめか?」
幸村:「お許しください。」
千姫:「江戸へ、帰りたいのじゃ。」
千姫は戸惑いの表情を見せながら、消え入るような声でそう訴えます。
幸村:「覗わなかったことにいたします。」
幸村の返答に返す言葉もなく千姫は、只々子羊のように戸惑いながら立ち尽くし、目は涙が浮かんでいるようです。
そしてその姫の様子をジッと見つめる幸村の表情には、千姫に対する同情の思いを持ちながらも、彼女に対して許しを請うような切ない思いを秘めながらも、ただ無言で控えていました。

大坂冬の陣の後に和睦となった時、
果たして千姫は、本当に江戸へ戻りたいと思ったのでしょうか?
私には必ずしもそうではなかったように思えます。

千姫は1597年4月11日、秀忠と江の長女として、山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれます。
1603年に秀頼のもとへ乳母刑部卿局とともに輿入れします。
この時千姫は数え7歳。秀頼は数え11歳の幼い子供でした。
この二人の婚儀は、実は豊臣秀吉の遺言でした。
千姫が生まれた翌年に秀吉は他界していますが、秀吉は早々に自身の命が尽きるとは思っていませんでしたから、自身の後継者の嫁に、ナンバー2の実力を持つ家康の孫を迎えることで、豊臣の天下の安定を図るために千姫と秀頼の婚儀の約定を家康から取り付けたのです。
そして自らの思いに反して早くも死期を迎えた時にも、秀吉亡き後も秀頼が天下人を継ぎ、五大老が支えてくれるものと思っていた(いや、思いたかった。そう思わなければ死んでも死にきれなかった。)はずです。
ところが秀吉が亡くなると、家康は本音を露わにし、豊臣をほろぼそうと動きますが、
家康は、秀吉とのこの約定を破棄せず、幕府を開いた半年後に実現させます。
この秀頼と千姫の婚儀は、元々は秀吉の思惑によって交わされた約定でしたが、秀吉亡き後は、家康にとってもこの約定は都合の良いものとなったのです。豊臣家をつぶすためにも。

それはつまり、『NHK大河ドラマ 真田丸』でも描かれたように、かつて家康が秀頼に年賀の挨拶を求めて実現した二条城での会見は、孫を嫁がせた家康が、舅(しゅうと)としての立場から「妻の実家に挨拶しろ」と大義名分を変えて京都まで挨拶に来るよう秀頼に再三命じたということです。
淀殿はこれを断固拒否し、家康は説得し、なんとか実現させたのです。

以上のように幼かった秀頼と千姫の婚儀は、秀吉や家康の思惑による政略結婚でしたが、数え年7歳での豊臣家への輿入れは、当人にしてみればその意味もハッキリとは理解出来ず、さしたる覚悟もないものだったと思えます。

幼い少女が親や祖父に言われるままに他家へ来てみれば、そこにはさほど年の離れていない少年がいて、二人は幼馴染のように仲良く暮らすうちに、その成長と共にごくごく自然に夫婦のかたちになって行ったと思えます。
千姫が輿入れしてから12年が経過した1615年、大坂冬の陣の後の和睦の時、秀頼は23歳、千姫は19歳になっていました。

思うに幼い頃より大坂城で暮らし、12年間過ごした年月は、千姫にとって決して辛い日々ではなく、実家との戦が始まったからと言って、共に暮らした秀頼から離れて江戸へと帰りたいという思いに駆られる出来事ではなかった気がします。
もちろん実家と嫁ぎ先の家とが戦う事への悲しみはあったとは思いますが・・・・・。

ですが、ドラマにおいて千姫が「江戸へ帰りたいのじゃ。」と語ったとするのには、彼女が豊臣家滅亡後に徳川家へと戻り、更にその後他家へと嫁ぎ(姫路城へ)、70歳の天命を全うしたという生涯から逆算したセリフだったと思えます。
きっと千姫は、秀頼との別れなど決して望んでいなかったと。
皆さんはどう思われますか?

それにしても千姫役の永野芽郁(16)さんは可憐で可愛いですね。
私は永野さんという方を全く知らなかったのですが、このドラマ上の可憐さが、彼女の性格そのままではなく、全くの演技だとしたら、素晴らしい演技ですよね。
一言:褒めてるんだか?疑ってるんだか?)

イメージ 1
秀頼と千姫

イメージ 2
永野芽郁さん
この画像を見る限り、けっこうはっちゃけた女の子のように思えますが・・・・・。
 
PVアクセスランキング にほんブログ村

閉じる コメント(2)

アバター

私も千姫は徳川に帰りたいと思っていなかったと思います。幼い頃からの豊臣での暮らしは徳川での暮らしよりも長いですし、秀頼との夫婦仲も良かったみたいですし。何より祖母のお市の方は長政と一緒に運命を共にする事を考えていたのに、叶わず。勝家と共に自害しているからです。彼女の血を引く千姫でしたら、本来は同じく夫と運命を共にしたのではないか?と思います。

2016/12/7(水) 午後 10:53 みゆん

顔アイコン

> コトノハ★美優さん
コトノハ★美優さんにそう言って頂ければ、それはもう太鼓判をもらったようなものです。
千姫は姫路城での暮らしの中、そこがあたかも大坂城であるかのように感じ、秀頼の幻を見ながら暮らしていたのかもしれませんね。

2016/12/7(水) 午後 11:28 [ 上から目線 ]


.
上から目線
上から目線
非公開 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

過去の記事一覧

標準グループ

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

ブログバナー

友だち(2)
  • 土佐文旦
  • 湖池健彦 Essay
友だち一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事