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〜真田丸:徳川家康は豊臣秀頼に対するコンプレックスから豊臣を滅ぼした?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
大河ドラマ真田丸では、超イケメンで爽やかな中川 大志さんが豊臣秀頼を演じ、『NHK大河ドラマ 真田丸』第38回放送昌幸』では、
秀頼との会見の後の家康と本多正信との会話では、
家康:「あれは本当に太閤の子か?」
正信:「なかなかの若武者ぶりでしたな。」
家康:「いかんのう。」
正信:「いけませんな。」
家康:「しかたあるまい。」
正信:「豊臣家もつくづく運が無い、秀頼公が凡庸な二代目であれば、しぶとく生き延びられたものを・・・・。」
と秀頼の存在を家康は改めて危険視するという場面が描かれました。
その後は母:淀殿の存在に自身の考えを押し込められて思い悩む秀頼が、幸村の言葉に感化されて豊臣家の当主としての自覚を強く持ち、成長して行くというドラマ設定が描かれました。
歴史上の人物としては、大坂夏の陣の終局において、大野治長は千姫の身柄と引き換えに秀頼の助命を嘆願したというが家康の容れるところとならず、淀殿や大野治長らと共に自害した(享年23(満21歳没))と伝えられます。
もしも豊臣家が政権を維持出来ていれば、果たして豊臣秀頼は、どれほどの可能性を秘めていたのでしょうか?
豊臣秀頼は優秀だった?巨漢という記述・遺骨 ...- ニュース蔵によれば、秀頼について以下のように語っています。
秀頼というと豊臣家が滅ぼしてしまった暗愚な人物という印象ですが、実際にはだいぶ印象が違う人物だったようです。
江戸前期に書かれた秀頼の伝記「豊内記」では「礼を重んじて義を行う」「私欲を哀れんで民を哀れみ、国家が豊かになることを朝夕念じていた」という非常に清廉な人柄だったのだとか。
(一言:ドラマの中で秀頼は、「父上が築いた安寧の世を・・・」と民への思いを感じさせる言葉を語っていましたね。安倍晋三とは大違いです。)
また、公家としての教育を受けていたようで、伝承される筆跡は非常に評価が高いのだそうです。
(一言:達筆だったんですね、誠実な人柄だったことを連想させますね。)
あの徳川家康が秀頼と会見したのち、腹心の本多正純に「(秀頼は)賢き人なり」と漏らしたそうで、それが家康を豊臣家の滅亡に走らせたという見方もあります。
(一言:誠実で賢き人ならば、徳川に仇名す人物ではないことぐらい家康は見抜けなかったのでしょうか?秀頼の人格に嫉妬し、いずれは秀頼を奉る諸将の動きを恐れたのでしょうか?)
あくまで推測でしかないですが、秀頼という人物は天下人・秀吉の元に生まれたただの無能なボンボンだったというわけではなさそうですね。 江戸中期に書かれた随筆「明良洪範」によると身長6尺5寸・体重43貫とあり、現在の単位にすると約197cm・約161kg。
(一言:身長197cmで体重約161kgって少なくとも秀頼役の中川 大志さんのようなスラリとした体格ではないですよね。背も高いがガッチリとした体格なのかな?)
これ現代人にしても相当な巨漢ですね。相撲界でも横綱・白鵬が身長192cm・155kgですから、それよりもひと回り大きいことになりますね。
(一言:そうですか、横綱・白鵬より一回り巨漢のねーっ・・・・。)
当時の日本人男性の平均が160cm未満だったことを考えると、化け物みたいに映ったかもしれませんね。
家康が秀頼と会見した際、その巨漢ぶりから来るカリスマ性に恐怖し、豊臣家を潰すことを決意したという記録もあるのだとか。
159cmと伝わる家康からすれば197cmの秀頼は恐怖するに十分ではあるでしょう。
(一言:東照神君ったら小柄な私より小柄だったんだーっ、へーっ、心も体も小っちゃい奴やで。)
秀吉が57歳でもうけた子であり、それまでにもうけた子は夭折していることから、秀頼は生まれつき病弱で貧弱な人物だったのかと思いきや、すさまじい偉丈夫だったんですね。
(一言:正室の千姫も巨漢の秀頼が夫だったのですから、夫婦としての○○生活は色々と大変だったでしょうねー。「えっ、何がって?」そりゃー色々と、ですよ。家康が当時の平均的な身長なら、女性の千姫はそれよりたぶん小柄なんだから、ねっ、わかるでしょ。)
以上のように、秀頼の生まれながらの不幸は、天下人目前の家康をコンプレックスの塊にしてしまった容姿と、人柄だったんですね。
可哀そうな秀頼、愚かなり家康。
中川大志さん演じる豊臣秀頼 超イケメンです。
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