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〜真田丸:樫井の戦いについてのドラマと、伝えられる一説との違い〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
大坂夏の陣を描いた『NHK大河ドラマ 真田丸』第49回放送『前夜』では、
河内方面、大和方面および紀伊方面より大坂城に迫る徳川軍に対し、豊臣軍は紀伊の浅野長晟への攻撃決定により、先手を打った樫井の戦いが起こります。
この戦いでは大野治房が軍を率い、自らも前線で突撃の指揮をとり、戦いの火ぶたは切られます。
そして「わしは大名になるんだ。」と言い続け、自らの名を記した木札を戦場でも配り続けた塙団右衛門直之は、突撃と同時に鉄砲による一撃により戦死、します。
しかし樫井の戦いについては〜真田丸:塙 団右衛門は加藤嘉明のイケズに合いながらも大坂城へ入城し〜 で記したように、今に伝えられる経緯は少し異なります。
一説には、田子の弓矢を額に受けて落馬したところを、八木に組付かれて首を打ち取られたとされ、
異説では、亀田大隅あるいは横井平左衛門が打ち取ったとも言われるそうです。
団右衛門の僚友の淡輪重政もまた、団右衛門の戦死を見て敵中に斬り込み、討死ししてしまいます。
この配下の団右衛門ら二人が討死した時、一軍の将である大野治房は願泉寺で食事をとっており、敗報を聞いて、慌てて退却したと言われます。
団右衛門の死後、大坂方では生還した岡部大学が、塙 団右衛門を見殺しにしたとの批判が上がり、岡部は戦闘時は奮戦したものの退いたことを恥、一時切腹を覚悟し、落城の後には名を変えて隠棲してしまいます。 以上のようにドラマでは、 大野治房が軍を率い、自らも前線で突撃の指揮をとり、治房軍の一人だった塙 団右衛門は、鉄砲の玉を額に受けて即死しますが、
伝えられる一説によれば、
弓矢を額に受けて落馬したところを襲われ、打ち取られたとされ、その一軍の将だった大野治房は、団右衛門らが討死した時、願泉寺で食事をとっており、敗報を聞いて、慌てて退却したと言われます。
この樫井の戦いについてのドラマ上と、伝えらる一説の違いから受ける印象は、塙 団右衛門の死については勇猛に戦った 団右衛門の最後を無かったかのように変え、大野治房の敵前逃亡を隠すかのようなストーリーへと変えた感があり、歴史ドラマを現代ドラマであるかのように見る視聴者には、塙 団右衛門に対しては実際よりマイナスのイメージで受け止められ、大野治房に対しては実際よりプラスのイメージとして受け止められたように思えます。
このシーンの時短を図った結果なのでしょうけどね。
塙団右衛門とその妻を演じる今泉マヤさん
今泉マヤパーソナルオフィス
今泉マヤ personal management officeは、「株式会社マリアクレイス」のTOP sectionとして、2015年4月に設立。
福岡で8年あたため続けた逸材「今泉マヤ」の個人プロモートセクション。
15歳の時 九州全域で幅広い人材とを発掘力と育成力で育て上げ、人材の宝庫とされる福岡天神を本拠地として20年目の実績を持つ株式会社シー・シー・エスにスカウトされモデル活動を開始。
まれに見る素材の良さに目を向けるクライアントも多かったが、トレーナーの目に止まり、東京への進出に基づいたプロモーションとを学業と両立の元8年間行ってきた。
CM・スチールなど出演を中心に、大学在学中に報道番組の気象キャスターとリポーターとしても人気を集めた。
そしていよいよ、2015年4月東京に上京し 株式会社 マリアクレイスの女優としての活動をスタートさせる為の1年間の専属トレーナーの元での完全指導プロジェクトの元の育成期間を経て、全面プロでユースの元の活動を開始。
NHK大河ドラマ「真田丸」にてデビューを果たし、その後そのオーデションをきっかけに、連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の出演へと繋げた。
また、CMにおいても 演技力・表現力を必要とする作品への出演を中心として活動中。大塚製薬イオンウオーターの作品ではそのホラー動画での臨場感ある演技により「今泉マヤという女優は誰?」や「怖すぎる」「気になる」でのその演技力は数々のインターネットサイトに...。
今後はその存在感・素材・演技力を活かし 映画そして舞台での本格的な 「女優 今泉マヤ」としての活動を展開していく。
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