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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜真田丸:わずか三歳で大阪落城を逃れた真田大八は、やがて仙台藩で
       サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編          
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これまでに〜真田丸:幸村の正室 春と娘 うめ(阿梅)は大坂夏の陣以後どうなったかでは、大坂夏の陣を描いた『NHK大河ドラマ 真田丸』第49回放送『前夜』において、幸村(信繁)が正室:春(竹林院)と娘:うめ(阿梅)の身の安全を伊達政宗に託す決断をしたストーリーが描かれたことを取り上げ、春とうめがその後どのような半生を歩んだかをご紹介しました。
そして〜真田丸:幸村は政宗にどのような密約を交わし、妻子の命を託し得たのかでは、幸村(信繁)と伊達政宗との間でどのような密約を交わしたことによって、幸村(信繁)が政宗に妻子を託すことが出来たのか?について記しました。









ですが幸村(信繁)の次男:大助が、どのような経緯で伊達家に託されるようになり、その後どのような人生を送ったのかについてはご紹介できませんでした。

なので今回は、真田大八について記したいと思います。

第49回放送『前夜』において、真田大八は、春の胸に抱かれてうめ(阿梅)と共に伊達政宗を頼って
最終決戦間近の大坂城から逃れる。というストーリーが描かれました。

果たして古書などにより今に伝えられる真田大助の生涯はどのようなものだたのでしょうか?

真田大八については、ある年の高野山蓮華定院の記録に「5月5日、京都に於て印地打ち成され、御死去候」とあるが、慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣で父信繁と兄大助(幸昌)の戦没の後に、実は、他の姉妹と共に陸奥白石に落ち延び、姉:阿梅の嫁ぎ先である片倉重長に引き取られたとされます。
一言:つまり大八は、ドラマで描かれたように姉や母と共に大坂夏の陣前に伊達政宗を頼って大坂城を出たのではなく、今に残る古書の中には、京都で行われた印地打ちという行事の中で亡くなったという記述が見られます。ところがその反面、大坂夏の陣の後に、他の姉妹と共に陸奥白石に落ち延び、姉阿梅の嫁ぎ先である片倉重長に引き取られたと伝る記述もあるのです。)

一方では京都で亡くなったとされ、またもう一方では陸奥の片倉家に引き取られたと伝わる。
いったいこれはどういう事なのでしょう?

どうやらこの二つの相反する記述がなぜ存在するのか?を知る時、大八が1612年に生まれ、1615年の大坂夏の陣の時はまだ3歳でした真田大助が、その後どのような人生を歩んだかを知ることになるようです。

そして上記のウィキペディアの記述に伴う疑問に対する答えは、BS放送の古地図で謎解き!♯60 「大坂の陣『真田丸と伊達政宗』秘密の真相 なぜ伊達家は信繁の子孫を守りきったのか?において語られました。
この番組で幸村(信繁)の子孫について語ったのは、真田家14代目子孫の真田徹氏です。
この放送などによれば大坂落城の際、大八は信繁の家臣である西村孫之進と我妻佐渡守に守られて京都へと落ち延びていていました。
もちろん徳川に最後まで歯向かった幸村(信繁)の子が生き残っていると知られれば無事には済みません。なので当然名を偽り、目立たぬように過ごしていたことでしょう。
やがて幾年かの時が流れて成長した大八は、同じく大阪落城から逃れていた姉:阿梅が、仙台藩:伊達氏の重臣で白石城主だった片倉重綱の側室となっていた縁故で、片倉茂長に保護され、片倉の姓を名乗ることとなったそうです。

改めて説明を加えると、幸村(信繁)の三女阿梅は、大坂落城の際、城中から白柄の長刀を杖にした16歳ほどの阿梅が、片倉重綱の陣の前へ出て来たので、阿梅は捕らえられますが、彼女が幸村(信繁)の娘であることが分かると、重綱の侍女として使えるようになり、やがて重綱の正室が亡くなると、継室となったとの説があります。
一言この文の前半部分は本当かどうかは怪しい面もありますが・・・・。)

と言う事で、伊達藩片倉家に身を寄せた成長した大八は、寛永17年(1640年)、28歳の時に伊達家(仙台藩)に召し抱えられ、真田四郎兵衛守信を称します。
一言:これは大坂夏の陣から既に25年を経て徳川の世も盤石となった今なら、真田の姓を名乗っても、問題ないと片倉家は判断したのでしょう。)
ところが、幕府側はそうは受け止めませんでした。
伊達藩に真田四郎兵衛守信という者が存在することを知るや、逆賊の子を雇用したのではないかと幕府が咎(とが)めて、すぐに仙台藩に詰問状が届いたのです。
大坂夏の陣から随分時が流れていたとは言え、徳川の治世に未だ家康の命を寒からしめた幸村(信繁)の子が生きていると知られてしまえば、その子をかくまった片倉家、ひいては伊達家の存亡にも関わります。
加えて真田大八が京都にいたということは既に徳川幕府の耳に入っていたと言われます。
事ここに至っては、仮に片倉家がもはやこれまでと大八(真田四郎兵衛守信)を今更のように処刑にしたとしても、犯人隠匿罪を逃れることはできませんし、保身のために彼を討つことは、片倉家の継室となっていた阿梅の意に背く事で、更に幸村(信繁)を戦国時代の英雄と見る全国の諸侯や民衆からのそしりを受けることにもなります。
もはや伊達藩は、真田四郎兵衛守信を、「あの(信繁)真田の子ではない。」という偽装工作を成功させる意外に伊達藩存続の道は無かったのです。

そこで伊達藩が考え付いた奇策とは、
真田幸村(信繁)の子は既に京都で死んでおり、伊達藩にいる真田四郎兵衛守信は、徳川家旗本となっていた真田信尹の次男・政信の子だという偽の真田家家系図を作成し、幕府に説明したのです。

この苦しい言い訳を幕府に通すためには、とにもかくにも京都で暮らしていたという真田大八が、その地で死んだ理由を示さなければなりません。
そこで持ちだしたのが、当時の京都で行われていた本物の石を投げ合う印字打ち(いんじうち)という行事で、実際この行事で毎回死傷者が出たといいます。
伊達藩はこの事を利用して、大八は八歳の時にこれに参加し、流れ石を受けて死んだという報告をしたのです。
そして更に驚くことに、伊達藩が偽装工作に使った偽の真田家家系図に示された真田信尹の次男・政信という人物は、実は存在しない架空の人物であり、伊達藩は居もしない人物をでっち上げたのです。
そしてこの時真田信尹の次男・政信の子とした真田四郎兵衛守信は、姉である阿梅を慕って伊達家へと来たと弁明したのです。

当然幕府は信尹の真田家にもその是非を問いただしたと思われますが、86歳になるまで生き、1632年5月に亡くなった信尹は、生前に大八が生きていることを知り、嫡男信政に対して「伊達家にいる信繁の子:大八を何としても幕府の魔の手から守ってほしい。」との遺言があったのでしょうか?、とにもかくにもこの苦しい伊達家の言い訳が幕府に認められたのです。

ではなぜ徳川幕府はこのような如何わしい伊達家の言い訳を認めたのでしょうか?

それは古地図で謎解き!♯60 「大坂の陣『真田丸と伊達政宗』秘密の真相 なぜ伊達家は信繁の子孫を守りきったのか?に出演していた真田家14代目子孫の真田徹氏の弁によると、徳川幕府というのは文書主義で、文書が整っていれば、もうそれで目を瞑(つぶ)るざるを得ず、仮にあえて伊達家の言い分に異議を唱えてもめ事の種を生めば、伊達家は「当家を信じないのであれば戦もじさない。」と言いかねないからここは穏便に済ませたと言うのです。


こうして結局大八(真田四郎兵衛守信)は、お咎めなしとなりますが、伊達家としても事を穏便に済ませてくれた幕府の顔も立てる意味で、真田姓を憚(はばか)って片倉姓に戻し、片倉久米之介守信と改名して、仙台藩士として扶持300石を与えられ、寛文10年(1670年)10月30日、享年59歳でこの世を去ります。

その後大八が継いだ片倉家はどうなったかと言うと、1712年 六代将軍 徳川家宣の治世に、大八の子、つまり幸村(信繁)の孫にあたる辰信が、真田姓を再び名乗ります。
この時仙台伊達藩は「もはやは幕府にはばかることは無い、だから真田の姓を名乗ってもよい。」と語ったと言われます。

かくして大坂落城の時、三歳の身柄で辛くも家臣に守られて脱出した真田大八は、ある時は京に潜み、ある時は仙台藩で真田四郎兵衛守信や片倉久米之介守信を名乗って生涯を全うし、後にその子:片倉辰宣がやがて真田辰信と名乗り、守信より8代後、幕末期の子孫:真田幸歓において名実共に真田姓に復し、仙台真田家として現在も続いているのです。

疑ればきりがない歴史ですが、こうした真田大八の生涯を否定する人は少ないでしょう。
なぜなら、大八の父:真田幸村(信繁)は、「日の本一の兵(つわもの)」と言われた戦国武将でありながら、家康を討つ事はは出来ず、壮絶な死を遂げます。
せめてその子孫は、連綿と続いている・・・・そうあって欲しいと誰しもが思うところでしょうから。

イメージ 1
片倉守信(真田大八)肖像

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