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〜直虎:『 おんな城主直虎』に全く登場しないおとわの祖父は、存在すら疑問?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!おんな城主直虎編
『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』では、おとわの曾祖父の井伊直平は登場するのに祖父の登場はありません。
この事から、祖父は早くに死亡したという事は誰しも想像するところです。
だったらそれでいいじゃないかと言ってしまえばそれまでですが、いったいおとわの祖父はどんな武将で、どのようにして亡くなったのか?と疑問を持つ人もおられるのではないでしょうか?
ところが祖父に限らず『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』に登場する人物は皆、その足跡に不明な点が多く、ドラマに関することをブログに更新し続けることが極めて困難だということが今になって分かってきました。
そしてそれはおとわの祖父についても例外ではなく、あろうことかその実在性すら疑わしいというのですから困った者です。
おとわ(直虎)の曾祖父であり、ドラマ上でこの後鶴之丞(直親)の子として登場する直井伊直政の曾祖父でもある井伊直宗についてウィキペディアに書かれた記述は短く、
直宗本人について記された文面は、
ただし没年とされる天文11年(1542年)は『寛政重修諸家譜』に基づくものであるが、同年には今川氏による田原城攻めは行われておらず、三河攻めは天文15年(1546年)の後半以降からであるため、疑問が存在する。『朝野旧聞裒藁』収録の「井家新譜」では天文20年(1551年)1月、「井伊氏系図」では天文23年(1554年)とされている。また、研究者の大石泰史は天文11年(1542年)は崩し字を写し間違えたことによる誤りで、実際は天文16年(1547年)だったのではないかとしている。
また、『井伊家伝記』『寛永諸家系図伝』『寛政重修諸家譜』などの史料では直宗の事績についてほとんど記されず、(親である)直平・(子である)直盛の年齢差が場合によっては17歳になることから、直宗の存在を疑う向きもある。
と、たったこれだけです。
ですがもう少し調べを進めてみたいと思います。
そこで井伊直宗が戦死したという田原城を調べてみると、これは戸田氏の三河湾支配の拠点となった城で、田原城主の戸田氏は16世紀になると近隣の戦国大名の拡大に伴って、はじめは松平氏に属し、さらに今川氏に転じます。
天文16年(1547年)、当時の城主である戸田康光は、人質として今川氏の本拠地駿河国に送られる松平氏の嫡男竹千代(後の徳川家康で、家康から見れば戸田康光は、義母の父に当たる)を護送する任を受けるも、寝返って竹千代を今川氏の敵方の織田信秀に送ってしまった。
(一言:康光にしてみれば、今川義元に仕える以前の主君は松平氏であり、なおかつ自身の娘の女子が松平家の嫡男である竹千代のもとに嫁ぎ、竹千代は松平元康と名を改め、最終的に徳川家康と名乗ります。松千代はまだ大きな勢力を得ていなかった松平家の嫡男でしたが、孫娘の婿を今川に引き渡すことは出来なかったのですね。つまり今の主君よりも自身の血縁を重んじたということでしょう。)
そのため今川義元の怒りを買い、田原城は今川方の攻撃を受けて落城、城主である戸田康光も戦死しました。
ということで、おとわ(直虎)の祖父である井伊直宗は、この戸田氏の居城:田原城攻めで今川義元の命に従い出陣するも、その戦いの中で戦死したのですね。
ですが『井伊家伝記』『寛永諸家系図伝』『寛政重修諸家譜』などの史料では直宗の事績についてほとんど記されていないことや、(親である)直平・(子である)直盛の年齢差が場合によっては17歳になることから、そこから計算される直宗の年齢は、父や子とは10歳に満たないほどの年齢差しかなく、その存在を疑う向きもあるということなのでしょう。
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