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〜直虎:龍王丸こと北条氏真はなぜ蹴鞠比べで瀬名姫に妻にと約束した?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!おんな城主直虎編
『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第5回放送『亀之丞帰る』では、瀬名姫が次郎法師に送った手紙の内容を映像化したシーンが描かれ、今川義元の嫡男:今川氏真には相模の北条家との同盟を結ぶために北条氏康の娘を迎えたことを伝えました。
その中で瀬名姫は、幼い頃に氏真が蹴鞠比べで姫に負けたおり、手渡した約束事を記した紙切れを取り出し、その約束事を違えたことへの恨み言(皮肉)を、夜叉の面を被って能を踊りながら述べました。
瀬名姫が胸元から取り出したその紙切れには、どのような約束事が記されていたか、視聴者の皆さんはしかと読み取られたでしょうか?
そこには平仮名でこう書かれていました。
ほうひ(び)
せなひめをわか(が)つまに
たつおう
つまりおとわ・瀬名姫・龍王丸(たつおうまる:後の氏真)らがまだ幼かった頃を描いた第3回放送『おとわ危機一髪』の中で、瀬名姫が次郎法師に宛てた手紙の中で、
おとわあねさまのてた(だ)てにならひ かち候
今川のつまのさ(ざ)は われのものになり候
かしく
と伝えた出来事で、龍王丸(今川氏真の幼名)から蹴鞠に勝ったほうびを記した覚書(証文)として瀬名姫が得た紙切れです。
(ちなみに:かしく とは、手紙を差し出した相手をほめ、恐れつつしむの意で、女性の手紙の終わりに添える語で、今日では かしこ と言います。)
瀬名姫はその覚書を10年の年月を経てなお、大事に持っていたのです。
もちろんこれはドラマ上の架空のエピソードですが、瀬名姫の母は今川義元の側室であったこともあり、この頃には母は今川本家に繋がる瀬名家(駿河守護今川氏の一族である堀越氏の分流)の当主関口親永(瀬名親永)に嫁ぎ、瀬名姫はその姫でした。
今川本家から分かれた一族の姫ならば、女性としての一番の出世は、関東での勢力を拡大していた今川本家の嫁になる事です。
瀬名姫が龍王丸(今川氏真)に恋していたかどうかは別として、戦国の世にあって少なくともお家にとってはその存続と栄達が第一に優先されるべきことです。
その事を示すように、第3回放送『おとわ危機一髪』の中で、瀬名姫は、「瀬名は龍王様の妻となって今川を我がものとします。」とおとわに語りました。
従って蹴鞠比べでの勝敗によるものではないにしろ、瀬名姫が龍王丸の妻になるための試みを行うことは極々自然な行動であり、両親は娘に対してそうすることを望む言葉を常に語っていたことでしょう。
このように瀬名姫が氏真の妻になるために蹴鞠比べに挑んだというドラマ上のエピソードは、史実として有り得ない話ではありません。
ではなぜその手段が蹴鞠比べなのでしょうか?
今川氏真 - Wikipediaには以下のような記述があります。
(氏真は)織田信長の前で蹴鞠を披露した逸話で知られる。『信長公記』の記載では、氏真が蹴鞠をすることを聞き及んでいた信長が所望したという。同時代の史料で確認できる氏真と蹴鞠との関わりは、この『信長公記』の記載と、青年期の氏真に山科言継が鞠を贈ったという『言継卿記』の記載程度しかない。
以上の記述にもあるように、氏真は朝廷との太いパイプを持っていた父:義元の影響により、幼い頃から公家のたしなみである和歌や蹴鞠の上達に励んでいたことは間違いありません。
当然龍王丸にとって蹴鞠は得意科目であり、余人に負けるはずのないものでした。
だからこそ、おとわや瀬名姫らのいかなる望みをもその勝利に対するほうびとして約束ができたのです。
自身が負けてほうびを与える事態など有り得ない事だからこそ、退屈を紛らわすために対戦相手を望み、勝って優越感を得るために。
こうした事を踏まえて、第3回放送〜第5回放送に至る瀬名姫及び龍王丸(氏真)にかかわるエピソードが描かれたのでしょう。
鞠を手にした瀬名姫とおとわ
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