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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜直虎:今川義元は領地支配の天才、蹴鞠で他国と交友し、検地で財を得た〜
       サブタイトル:オヤジブログは自由だ!おんな城主直虎編          
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以前ご紹介した〜直虎:今川義元は、公家のような外見からはかけ離れた経緯で家督を得てでは、これまでの戦国時代を描いたドラマなどで当たり前のように描かれていた今川義元像は、その実像からは程遠い名将だったという点について記しました。
つまり『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』に限らず、ドラマなどに登場する今川義元は、公家のように顔に白粉を塗り、眉毛を剃り落として引眉を書いた公家のような面相をした武将として描かれますが、吉本自身の武勇についてはいざ知らず、今川家の三男だった立場を跳ね返し、兄との闘いを制して今川家当主となったことをご紹介しました。

なるほど史実ある桶狭間の戦いににおいて今川義元は、駿河・三河・遠江の三国を領有する大大名でありながら、当時は尾張の弱小大名でしかなかった織田信長に敗れたことで、公家のような不甲斐ない戦国大名だったというレッテルを張られ、以後今日に至るまで、その実像は歪められて言い伝えられてきました。
ですが上記したように、義元は今川家内部における家督争いに打ち勝って投手となったというたくましい半生をすごしたのです。
およそ義元が不甲斐ない武将として伝わる一因は、小国の大名だった信長に負けたという以外に、まるで公家のようないで立ちと、行いにもあります。
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上の画像にあるような服装と、公家のように顔に白粉を塗り、眉毛を剃り落として引眉を書いた公家のような面相で、和歌や蹴鞠に興じる姿からは、かつて三国を有した大大名だったことも、父から受け継いだ領地などに恵まれていたためであり、自身の実力で得た権力と領地ではなかったように思われがちです。

しかし義元がまるで公家のように振る舞い、蹴鞠や和歌をたしなんだことにこそ、義元が領地拡大をなし得た理由だったのです。

〜直虎:今川義元は、公家のような外見からはかけ離れた経緯で家督を得てで記したように、義元は幼い頃よりの教育係であり、後に軍師でもあった太原崇孚雪斎(たいげんそうふせっさい)に連れられて都で公家や有力大名との人脈を構築して行ったようです。
そして善本は今川家当主となってからも、公家や有力大名との交友を深めるための手段として、蹴鞠や和歌などの催しを行ったことが、『片岡愛之助の解明!歴史捜査 今川義元⁻信長に敗れた桶狭間の戦いの真実を追え!』という番組の中で紹介されました。

今川義元の大名としての有能さはそればかりではありません。
NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第6回放送『検地がやってきた』では、『検地』という用語が登場しました。
私たちが『検地』という用語から思い出すのは、学校教育で習った豊臣秀吉による『太閤検地』です。
ですがそれを先駆けて行ったのは、なんと義元だった?いいえ、そうではないんですね。
検地 - Wikipediaには、
 律令制下、全ての農地の所有権は国家が持っていることになっていた。しかし、平安時代になると公地公民は崩れ、荘園と呼ばれる私有地の存在が認められるようになる。そのため、各地は国府が管理する国衙領と私有地である荘園にほぼ二分される。国衙領については国府が大田文と呼ばれる台帳を作成し、農地の面積や収量を把握し、徴税の基礎資料としていた。しかし、荘園に関しては、課税のための調査も課税もできない。この状態は鎌倉室町時代になっても変わらなかった。室町・戦国の混乱時代、農業生産高は爆発的に増加したが、各地にモザイクのように存在する割拠勢力はそれぞれ消長を繰り返し、また支配下にも多くの自立領主がいるため、自領の実質総農業生産高を把握するのも困難であった。
しかし、戦乱を経て地方に荘園や国衙領という枠を超えた一円に支配権を確立する戦国大名が成長する。彼らは、自分の支配地域における課税を行うための資料として土地の調査を行った。北条早雲によって初の検地が行われ、その後歴代当主がこれに続いた。しかし、その他殆どの戦国大名は全領地に検地を行うことができなかった。多くは新規に獲得した領地に対して行っている。それは家臣団や有力一族の抵抗が大きいからである。北条家などの一部大名が大規模な検地を行えたのは新興勢力であるがゆえに地縁に縛られにくかったという事情がある。
と記されています。

今川家は、清和源氏のひとつ河内源氏の流れを汲む足利氏御一家吉良家の分家であり、足利宗家の継承権を有しており、御所(室町幕府将軍家)が耐えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐとまで言われた足利宗家(室町将軍家系統)の血筋だけで権力を拡大しえたのではなく、室町時代中期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖である北条 早雲(ほうじょう そううん)が初めて行った『検地』を更に洗練させた優れた政策として行い、財を領民から広く得て富を蓄積し、国力とした先進的な大名だったのです。
つまり検知により領地の収穫を査定して年貢を徴収したのです。
今で言うところの固定資産税ですよね。

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春風亭翔太さん演じる今川義元

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