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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜直虎:第14回放送『徳政令の行方』に描かれた事件発端の背景とは?
       サブタイトル:オヤジブログは自由だ!おんな城主直虎編          
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余談ですが桜満開の春ですね、うらら過ぎてとにかく眠たくて、帰宅後にブログを更新出来ない日々が続き恐縮です。
昨日もそれは同様で、今ページは意を決して朝3時に起きて記しました。

『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第14回放送『徳政令の行方』では、井伊家領内の百姓たちが、これまでの借金を棒引きにする法律(徳政令)を巡る直虎・小野政次・百姓衆らの動きが描かれました。

そして今回放送『徳政令の行方』の出だしでは、その徳政令を巡る事件発端が描かれました。
徳政令とは、平たく言えば、領民の領主に対する田租(いわゆる年貢)などの減免を許す法令のことです。
百姓たちの戦国(其の二 食糧を求めて戦へ): 原田伊織の ...には、戦国時代の状況を以下のように紹介しています。
戦国時代は農業技術が発達していなかった上に、やたら大飢饉に見舞われた。加えて、風水害に疫病の流行。飢えが日常的であった時代なのだ。特に、正長元年(1428)、文明五年(1473)、永正二年(1505)の大飢饉が、ほとんど日本列島全域に於いて甚大な人的被害をもたらしたことが判っている。それ以外の年も各地で飢饉が頻発し、餓死者が絶えなかったのである。十五世紀後半から十六世紀についての史料には、旱魃(かんばつ)、洪水、風害、疫病、そして飢饉を伝える情報が際限なく表われることを、戦国時代の村や百姓の研究では第一人者と目される藤木久志氏も指摘しており、同じく黒田基樹氏も、江戸期の人々が「飢饉」と呼んだ状況が戦国期に於いては「日常」そのものであったという。
何故この時代は飢饉が慢性化したのか。実は、この確たる理由が分からないのだ。この時代は気候が寒冷化していたと言われる。近年では、峰岸純夫氏をはじめとして多くの研究者がこのことを指摘しているが、この説は結構古くから存在する。大きなうねりでみれば、平安時代は温暖な気候であったようで、鎌倉後期から室町に至る時代は寒冷化の時代であったというのだ。このことは、かなり古い時代から指摘されてきたことである。しかし、データによって百年ぐらいのズレがあるとも言われ、寒冷化のみで説明できるまでには固まっていない。
一方で、日本列島の人口が一千万人台に乗るのは、この戦国を含む室町時代であるとされている。その背景要因として、司馬遼太郎氏をはじめとする多くの研究者が食糧が増産されたことを挙げている。確かに、全体として食糧が不足すれば人口は増えない。ところが、生産量が増えたとか、減ったとかを検証することはできないとする考え方も根強い。この問題は、まだ明確な答えをもっていないのである。
はっきりしていることは、飢饉というものが単純に生産量が不足して起きるものではないということだ。飢饉の直接的な原因は、生産や流通に関する「社会関係」にあるとすることについては学者や研究者の間でほぼコンセンサスが成立している。それまでの荘園を中心とする生産環境では気候変動による生産環境の変化に対応できず、人びとは新しい「社会関係」を構築しようとする。一言で言えば、その新しい関係構築の動きが「戦国」であると言えるのではないか。食糧を獲得できない人びとは、食糧が自分たちに行き渡るような社会的な仕組みを求めたのである。
慢性的な飢饉の中で、百姓はどうやって生存を図ったか。典型的な形が、「口減らしの出稼ぎ」、即ち合戦である。「家中」と呼ばれる所謂「武士」階層の者に「奉公」する、つまり、中間や小者となる契約を結ぶ。これが、前稿で述べた「騎馬」に付く「足軽」である。そして、食糧をはじめ「雑具」(ぞうぐ)=日用生活品、牛馬、人身(特に「足弱」=老人・女・子供)を掠奪する。この“戦果”によって、家族も在所も、果ては「領」も豊かになる。結果として、国内が平穏になる。生きるためには、合戦に出て、勝って食糧をはじめとするあらゆる物財から人身に至るまでを手に入れなければならない。豊かになれば、更なる“戦果”を求めて合戦に出る。百姓は、合戦に勝ち続けなければならない。そのため、敵地に侵攻した時は、敵の地力を衰退させるために必ず侵攻した地の作物を刈り取り(=「刈田狼藉」かりたろうぜき)、徹底した生産破壊を行う。刈田狼藉を受けた土地は、生産不能となるから飢饉となる。その地に生き残った百姓は、またどこかから掠奪してこない限り生きる糧は手に入らない。つまり、戦国の合戦が実は飢饉を発生させていたという側面があり、同時に合戦は生存の手段でもあったのだ。

要するに戦国時代は、食料の確保が極めて困難な時代であったため、領主にとっても百姓にとっても、生きるか死ぬかの選択を常に迫られる日々だったということでしょう。

ということで、
井伊谷の百姓衆は、領主に対するこれまでの借金(田租)を棒引きにしてもらわなければ、百姓としての生活が立ち行かないと直虎に迫ったのです。
この井伊領内の百姓衆の要求に対し直虎は、瀬戸方久(せとほうきゅう:遠江国で郷士として生まれながら商才に長けた商人として力を得た人物。)を井伊の家臣とし、瀬戸・祝田(ほうだ)の両村を方久の所領とする奇策を打ち出します。
しかしこの直虎の考えに対し、中野直之・ 奥山六左衛門らは、猛反発します。
そんな矢先、瀬戸村・祝田(ほうだ)村の百姓衆は、祝田(ほうだ)村にある蜂前神社(はちさき神社)の禰宜(ねぎ:神社の代表者である宮司の補佐役)徳政令の発布を井伊家ではなく、これを支配する今川家に直接願い出る直訴という行動に出ます。
この直訴が今川によって受け入れられてしまえば、井伊家は領内を治める権限を失い、今川は小野政次にその監督権を任せることになります。
このような百姓衆の有り得ない動きについて方久は、「要するにこれは、民の訴えをかくれみのとした小野様の(井伊家)乗っ取りなのでは?」と言及します。

上記の記述以後が、今回放送のメインドラマですが、続きは今晩記したい・・・・・・・と思いますが、また何も出来ずに寝ちゃわないかな?

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