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〜住宅ローン返済記:バブル景気初めにローン返済が始まり、やがて株大暴落〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!住宅ローン返済記編
初めに、今回以後の住宅ローン返済記に記す当時の時代背景は、どこか今の状況によく似ている気がします。当ブログの訪問者の皆さんには、そんな事も念頭に置いて読んでいただき、その共通点や是非を知識として吸収し、自ら考察することをお勧めします。
そうすることが、今から、もしくは今正に住宅ローン返済を無事完済する上で有益となるのでは?と思っています。
私にとっての住宅ローン返済は、1986年(昭和62年)8月7日から始まります。
バブル時代の始まったのが1986年(昭和61年)12月であることから、その始まりの半年以後から返済が始まりました。
上の画像でお分かりのように、当時住専と呼ばれた住宅金融専門会社から借入額1100万円、年利7.14%、返済年数25年、
(一言:現在の大手銀行での住宅ローン金利は2.475%ですから、とんでもない高金利ですよね。)
返済額は月々78,730円、ボーナス払い無しでした。
この月々の返済額は、一般的な?賃貸マンションの家賃程度で、当時の時代的雰囲気の中では、大騒ぎするほどの額ではないように思えましたが、今の私の感覚で言えば、とんでもない大金です。
時代とその時々の年齢、立場などによって、経済観念は大きく変わって来るのです。
このような自身の中での経済感覚の変化は、今正に住宅ローン返済が始まった方々にとっては、いずれ体験する事になるのかもしれませんね。
当時の私は、バブル景気による住宅需要の高まりや、高速道路の用地買収による土地成金が多く現れたことにより、建築に携わっていた私も比較的高い収入を得ていました。
旧我我家には独身の私と弟に両親の4人で暮らすこととなります。
父はまだ50歳代と若く、生活費は概ね父の収入で賄われ、弟も既に就労していたため、私は母に月々5万円を手渡していましたが、残りの稼ぎは自由に使う事ができました。
従って当時私はローンを返済した残りのお金の大半を株式投資に費やして運用していました。
ご存じのようにバブル時代の当時は株式を買えば、必ずと言っていいほど値上がりしました。
なので数字の上では蓄財は増えていたはずなのですが、現金として手元あったわけではなかったので、それによって色々と贅沢できたかと言うと、全くありませんでした。
常に株式相場が気になり、実際の損金は出ていないのに、値上がり前の銘柄が買えなかったり、直近の高値で売り抜けなかったりするだけで損をした気がする。
更に手持ちの株が急落すれば、それを取り戻そうと借金をしてでも株を買い増ししたくなる。
それが株式の怖いところです。
(一言:ちなみに私、お酒は好きですが、ギャンブル、女遊び、タバコ、ゲームなどには、長い人生の中で一度もはまった事がありませんが、株取引についてははまってしまい、面白いと思いました。時代の流れや動きを知り、投資すると言う事は、面白いと。)
ですが今にして思えば、現金にすれば何百万円もの蓄財があっても、相場が気になり、損をしていなくても損をした思いが常にあり、心がそのことに振り回されて休まらない。そんな日々でした。
しかし当時の人々は、バブル景気が経済実態に即したものではなく、泡のように空気で大きく膨らんでいるに過ぎないことに気付かず、誰もがこの好景気は多少の落ち着きを見せる局面はあるものの、恒久的に続くだろうと信じて疑わなかったのです。
ブラックマンデー - Wikipediaによれば、
この好景気が始まって2年後、1985年1月のアメリカがユネスコを脱退した翌月の2月、NY株価は過去最高の1300ドルを記録、日本株価は、1989年12月29日 - 算出開始以来の最高値(ザラ場 38957.44円、終値38915.87円)となります。
ところが同年12月に今度はイギリスがユネスコを脱退した翌月の1986年1月に一部の泡がはじけます。ブラックマンデーです。
この大暴落の発端は、アメリカ海軍の艦船がイラン・イラク戦争において、アーネスト・ウィル作戦としてクウェートの保有するアメリカ船籍の石油タンカーの護衛についていた際、イラン側から攻撃を受け、1987年10月19日に、そのことを理由としてイランの持つ2つの油田に対し報復をしたことでしたが、 本当の要因は、アメリカの貿易収支の赤字幅が予想以上に膨らんでいたことや、1985年のプラザ合意以後のドル安を打開するためにドルの金利が引き上げられる観測が広がっていたこと、そしてブラックマンデーの2ヶ月前、FRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれていたことなどは株価下落の要因として挙げられています。
ブラックマンデーで日本のバブルの一部ははじけ、株価は大幅安となりますが、私の持っていた銘柄の多くは極端な影響を受けず、手持ちの銘柄を合算するとおよそ1万株(仕手銘柄の船舶株も多く含む)、金額にして1000万円近くになっていました。
しかし1991年、ついにバブルが完全崩壊し、平成不況(第1次平成不況)へと経済状況は後退します。
バブル崩壊 - Wikipediaによれば、
バブル崩壊の原因は、
経済学者の田中秀臣は「日銀がバブル潰しのために金融引き締め政策を行い、その結果1991年にバブルが崩壊した」「日銀が金融引き締めを行ったため、市場から株・不動産を買うための資金が一気になくなり、株価・不動産価格が暴落したのがバブル崩壊の真実である」と指摘している。田中は「1989年の消費者物価指数上昇率は、総務省の統計によると2.3%とされているが、消費税の影響を除いた実質的な物価上昇率は、1%以下と見られている」と指摘している。
経済学者の高橋洋一は「当時のバブルは資産市場にだけ金が流れ込んだため、資金規正で潰すだけで金融政策の対応は必要なかった」と指摘している。
高橋は「インフレ率からは正当化できないにもかかわらず、金融引き締めを行いバブルを潰そうとしたのは、日銀の失敗である。結果的にバブルではなく、日本経済全体を潰してしまった」と指摘している。
と記されています。
つまりバブル景気は、これ以上のバブル増大を防ぐ目的で政府が言わば針で突くような政策を行いますが、結果的にはバブル部分以上の部分までも潰してしまい、長きにわたる平成不況へと突入することとなった。と、言うことでしょう。
かくして経済は一気に冷え込み、地価は暴落、住宅価格も下落して行きます。売れないからより安くするという悪循環で。
当然この影響は私の収入の減少にも直結してゆきますが、私はまだバブル景気後の不況のどん底が、どこにあるのかの判断を見誤っていたのです。きっと当時の人々の大多数がそうであったように。
皆さんは今回の話を読んでいただいて、何か思うことはありませんでしたか?
「株式で1000万円ほどの蓄財を得ていたなら、それを全て売れば1100万円借り入れた住宅ローンの殆どを返済できるじゃないか?」と。
ですがそうは思えなくなるのが、バブル景気だったのです。
つまり、「ローンを返済するよりも、マネーゲームを続けなければ損だ。本業で稼げなければ尚更・・・・・。」と思ってしまう。
そんな時代だったのです。
そして私もまた・・・・・・。
今回のお話は、ここまで。
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