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2017/10/9(月) 午後 11:57
[ 幸村薩摩落ち伝説の作者 ]
2017/10/9(月) 午前 9:16
江戸初期から中期、後期まで幸村の子孫と思わせるものは何も無く、江戸時代に「眞田三代記」が流行り、眞田幸村が人気となると、僅かに幕末になり、幸村人気を意識しだして、守信の墓に銭紋が付いていたので、明治5年の墓には、幸村10世真田源田左衛門滋野幸清と刻んだ。真田大八が夭逝していると云う真田本家の正史等が伝わっていない時代だから幕末の子孫が間違えた。そして、大正時代に講談で「眞田十勇士(眞田三代記がもとだが、猿飛佐助や霧隠才蔵などが登場し、講談師による完全な創作)」が流行ると、それに便乗しようとして、大正、昭和の時代になり、真田本家の正史、片倉代々記などの書物が出るに及び、つじつまを合わせざるを得なくなり、「真田大八死亡の噂を流した」とか、「系図の偽装(叔父の子孫)」とか、「子供5人の保護説」とか、明治から昭和生まれの人が記した家系図を江戸時代から伝わる系図と言い出した。最近、真田徹は「眞田幸村の子供5人を保護する代わりに、徳川家康を討ち取るという眞田幸村と伊達政宗の密約があった」と言い出したが、根拠となる古文書はもちろんなく、作り話の言い伝えもなく、論拠すら示していない。
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2017/10/8(日) 午後 9:55
> hop*519さん
質問の蘇我氏の墳墓についてですが、斉明や天智、天武の天皇陵を比較すると、他の円墳や前方後円墳や出雲の四隅突出型墳に比べれば似ている?とも思えますが、対称形となる図形には限りがあるので、結果として似てしまったかもしれませんが、やはり似て非なるもの、つまり宇宙を表すとする八角形としたのは独創的な考えだと思えます。
キトラや高松塚の天井壁画としてではなく、陵墓そのもの、つまり天皇(天子)こそが宇宙を利する存在だということを示していると考えられ、蘇我氏の方墳にはそうした思想までは考慮されていないように思えますし、増してや蘇我氏の陵墓を模したり踏襲したりしているとは私には思えないのですが、いかがでしょうか?
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2017/9/21(木) 午後 7:37
[ みな ]
2017/9/21(木) 午前 0:33
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2017/8/21(月) 午前 0:07



