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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜直虎:松平元康は今川を裏切り生命の危機にあった瀬名姫を救おうともせず
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『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第10回放送『走れ竜宮小僧』では、井伊家家中における小野政次や、今川家家中における瀬名姫らの生命の危機を救うために、次郎法師が竜宮小僧として奔走する姿が描かれました。

小野政次は、井伊家当主の直盛が今川義元と共に桶狭間の戦いにおいて戦死して後、奥山朝利により井伊家乗っ取りを企んでいるとの疑念から切り殺されそうになり、それを防ごうとして逆に朝利を斬り殺してしまいます。
これにより、直親の妻:しのは、父:朝利の仇を討ってほしいと直親に願い、井伊家中では政次を討つべしとの機運が高まります。
しかし、同じく奥山朝利の娘でありながら小野家の嫁となっていたなつは、小野家の名代として井伊家中における政次の処分を決める評定の場に参じ、父:朝利が死に至った経緯には、むしろ父に非が有あったことを訴え、義兄の助命を嘆願します
この評定において直親は、奥山の娘二人からの相反する訴えを前にして、妻であるしのの思いに答えるのではなく、冷静な目で事の決着にあたります。
井伊直親は、朝利が殺害された現場の柱や床などに残る刀傷を見て、政次が自らの意志で自身の刀を抜き、朝利を殺害したのではないことを悟り、妻であるしのを初めとする井伊家内の政次を断罪せよとの機運に異議を唱えて政次をかばい、政次は無罪となります。
そして、こうした政次の免罪に向けてなつに小野家名代を陰から依頼したのは、言わずと知れた井伊家の守り神たる竜宮小僧として生きる決意を持つ次郎法師だったのです。
直親の実父である直満の死以後、その領地の管理していたのは小野家でしたが、事の真相はともかく、結果として直親の実父の死のみならず、義父の死にまで係った我が身を関大な心で許してくれた直親に政次は深く感謝し、かつての直満の領地をこの時期に誕生した直親の嫡男:虎松(後の井伊直政)に変換するとした証書を嫡男誕生の祝いの品として直親に手渡したのです。
かくして政次と直親との間にあったわだかまりは、この奥山朝利の死亡事件をきっかけに納まり、小野家は井伊家において孤立したいた状況も解消して、ひとまず井伊家家中は一枚岩となったのでした。ひとまずは?・・・・。

一方井伊家の安泰を誰よりも願う次郎法師にとっての難題は無くならず、かつて井伊家より今川家に人質として移った佐名姫の娘:瀬名姫に最大の危機が迫っていたのです。
この次郎法師にとっての唯一無二の親友であった瀬名姫の一大事を、次郎法師が黙って見過ごすはずはありません。
瀬名姫は、松平元康が桶狭間の戦いに敗れた今川家を見限り、その敗戦の混乱に乗じて自身の城である三河国の岡崎城へと戻り、織田家と共に敵対する姿勢を明確にしたことで今川家中に残っていた元康の正室:瀬名姫は、裏切り者の一族として成敗される破目に陥ります。
駿府より遠く離れた遠江の井伊谷にあった次郎法師には、こうした瀬名姫の状況を知るよしもありません。
しかし、それまで途切れることなく届いていた瀬名姫からの文が途絶えていることに不安を覚え、織田に敗れた今川家にある瀬名姫の安否を気遣います。
そんな折次郎法師は、瀬名姫の母:佐名より娘を救って欲しいとの訴えから瀬名姫の窮地を知り、矢も楯もたまらず駿府の瀬名姫のもとへと駆け付け、今川義元の母:寿桂尼に瀬名姫の助命を願い出ますが、その最中に元康が寿桂尼の孫の城を攻め落としたとの知らせが届き、次郎法師の願いは聞き入れられずに瀬名姫の処刑が決定付けられてしまいます。

果たして次回放送における瀬名姫と次郎法師の運命やいかに?

つづく。

それにしても家康こと松平元康は、あれほど憧れていた瀬名姫を思いもかけず今川義元の命により正室に向かえる事ができたのにもかかわらず、今川を裏切り、愛する妻を真っ先に助けるために駆け付けようともしないとは、いったいどういう了見なんでしょう?

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駿府で幽閉されていた瀬名姫を救うべく次郎法師が駆け付けた場面

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〜直虎:『桶狭間に死す』で定説を否定し、政次ではなく奥山朝利の非を描き〜
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『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第9回放送『桶狭間に死す』では、井伊家の中にあって、井伊家に忠義を尽くすのではなく、今川家の意向に従うことで井伊家の乗っ取り、もしくは今川家での地位を上げようとする逆臣だったこと定説となっている小野政次が、少なくとも桶狭間の戦いの直後までは井伊家に対する反逆者ではなく、奥山朝利の政次に対する偏見が、やがて政次を反逆者へと変えて行くという設定で描かれたと思われます。
小野政次と奥山朝利について、ウィキペディアでは以下のように記されてます。
奥山朝利 - Wikipedia
遠江国引佐郡井伊谷を治める井伊氏の親類衆。因幡守。娘の多くは井伊家・井伊家家臣に嫁ぎ、井伊直政の外祖父でもある。桶狭間の戦いの年末、あるいは永禄5年(1562年)の年末に、小野道好に暗殺された。
遠江国引佐郡井伊谷を治める井伊直盛の家老を務めた小野政直嫡男として誕生。天文23年(1554年)、父が病死するとその家督を継承する。父・政直は井伊一門である井伊直満(直盛の叔父)らと対立し、これを謀殺するなどした奸臣(かんしん:邪悪な心を持った家来)として知られており、直満家の脅威であった政直の死により、信濃国へ亡命していた直満の子・直親が帰郷し、直盛の養嗣子の座に収まっている。
永禄3年(1560年)5月、井伊氏は主家にあたる今川氏の西上軍に従うが、今川軍は桶狭間の戦い織田信長に大敗を喫し、井伊直盛も戦死する。直盛は死ぬに先立ち、小野氏が再び専横する事を懸念して、井伊氏の分家筋である中野直由に直親の後見するよう遺言しており、直盛の祖父・井伊直平はこれに従って直親の後見役とした。なお小野家でも道好の弟・朝直と、一族とみられる小野源吾が討死している。同12月、朝直の舅でもある井伊氏親類衆の奥山朝利を暗殺した。
一方、隣国三河国では徳川家康が今川氏を離反し、今川氏を破った織田氏と同盟を結んだ。この頃になると直親も徳川氏に心を寄せ、密かに内通していたという。道好と直親は、父同士が因縁もあり関係は不仲だった。道好は井伊谷を横領しようと画策していたとされるが、直由が後見役に収まっていたために果たせずにいた。そこで直親の内通を知った道好は、永禄5年(1562年)に駿府今川氏真に直親が織田・徳川氏に内通している旨を密告した。氏真は直親追討の軍を挙げようとしたため、直親は氏真へ陳謝するために駿府へ向かうが、途中の掛川にて今川氏重臣の朝比奈泰朝によって殺害された。道好は氏真の命を奉じて直親の遺児・虎松(後の井伊直政)も討たんとしたが、井伊氏に近い今川家重臣・新野親矩によって阻まれた。その後、永禄6年(1563年)には井伊直平が死去し、永禄7年(1564年)には中野直由が戦死した。井伊谷を預かっていた直由が亡くなり井伊谷城が無主となったため、井伊氏は直盛の娘である次郎法師(井伊直虎)を当主とした。
永禄11年(1568年)、甲斐国武田信玄が今川氏の本国・駿河国に侵攻した。これに際して道好は駿府で今川軍に従っていたが、虎松を殺害して井伊谷を掌握し、その軍勢を率いて加勢するよう氏真より命じられる。道好はその命を奉じて井伊谷に入り、井伊氏より井伊谷を横領する事となった。虎松や次郎法師、直盛後家の祐椿尼は井伊氏菩提寺の龍潭寺に入って難を逃れている。だが徳川家康は道好の専横に対し、近藤康用鈴木重時菅沼忠久井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷を奪還させた。道好は敗北して井伊谷から退去し、近隣に潜伏していたが捕えられ、永禄12年(1569年)に堀川城攻撃の仕置きで、獄門を言い渡され井伊谷で処刑された。そのひと月後には道好の男子2人も斬罪となった。

このように、史書に残る記録では、小野政次は悪であり、奥山朝利は正義ですが、
『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』ではこの定説をあえて否定し、政次が反逆者となるにはその前提となる井伊家からの不当な扱いがあったとし、政次に暗殺されたとされる朝利にむしろ非が有るとしたのです。

思い起こせば、『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』におけるこれまでの放送で、政次の父:政直は井伊分家の井伊直満らと対立し、今川義元に今川家への裏切り行為を密告して直満を亡き者とし、井伊家乗っ取りを図りますが、病により急死します。
政直は死の直前、父上のようにはならないと言い張る嫡男:政次に対して、「いずれお前もわしと同じ道を歩むことになる。」と言い残しました。
ですが第9回放送『桶狭間に死す』までの政次は、誤解を招きやすい武骨な所はあるものの、おとわ(次郎法師)に密かに思いを寄せ、井伊家に対しても二心なく仕える姿が描かれました。
そんな中、今川義元が織田信長の軍によって討たれ、井伊直盛もその桶狭間の戦いの中で命を落とします。
従うべき大名と井伊家の当主を同時に失った井伊家は混乱し、早急に次期当主を決める必要に迫られますが、直盛は死を前にして井伊家を直親ではなく中野直由に託すとの遺言を残します。
直盛亡き後、井伊家の先頭に立ったのが直由だったというのは史書の記録に沿うものですが、それが直盛の遺言によるものとするのは、ドラマ上の設定でしょう。

ではなぜドラマにおける直盛は直親ではなく直由を指名したのでしょうか?

歴史上において直盛の後、井伊家の当主は直親から直政(直親の子)へと継がれますが、直政の誕生は直盛の死後です。
直盛は未だ直親を次期当主と認めていなかった、もしくはまだ当主としての力量または人望を得ていないと見て、当面は井伊家を直良に託したのでしょうか?
それとも娘であるおとわ(次郎法師)が今川からの呪縛を解かれて還俗すれば、その子を次期当主となりうることも視野に入れていたのでしょうか?(まだこの世に生まれていない直親の子)を見定めるまでを直良に託したのでしょうか?
いずれにせよ現当主である直盛の死による家中の混乱に乗じて、小野政次が井伊家を思うがままにしようとしているとの強い疑念を持つ奥山浅利は、娘:なつ(朝直(玄蕃)の妻)を本人の意志にかかわらず、奥山家へ帰すようにと政次に強引に迫り、屋敷に呼び寄せて背後から斬りつけたために、それを防ごうとした弾みで逆に政次が奥山朝利を斬ってしまったというのが、今回のストーリーでした。

つまり小野政次は、直盛亡き後の井伊家を乗っ取るために奥山朝利を暗殺したのではなく、当初の政次にはそうした野望があったわけではなく、弾みで朝利を斬ってしまったことが、井伊家家中で政次を奸臣(かんしん:邪悪な心を持った家来)へと変えて行くことになることが、今後の放送で描かれるのでしょう。

思うに、奥山朝利の生涯や人物像が定かでない以上、こうした『桶狭間に死す』で描かれた事情は、有り得ない話ではないと思えます。

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井伊谷城跡 城山公園の三之丸にある小野政次の塚(墓

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〜直虎:『桶狭間に死す』では直盛の死により巻き起こった井伊家の内紛を描き〜
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『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第9回放送『桶狭間に死す』では、井伊直盛の死によって巻き起こる井伊一族の悲喜こもごもの動きが描かれ、瀬名姫によって『三河のぼんやり』と揶揄された松平元康が、その妻の言葉に後押しされて狸の本領に目覚める様子が描かれました。

桶狭間の戦いにおいて義元率いる今川軍が、それまで弱小大名と見なされていた信長率いる織田軍に桶狭間において奇襲を受けて大敗を期し、大将である義元は戦死します。
もっとも今回の映像では今川義元が討たれる様子どころか、織田信長の姿すら登場しませんでした。
今回桶狭間の戦いについて描かれたのは、敵軍(織田軍)が今川の陣営である井伊の陣に突如として怒涛の如く攻め入り、井伊勢が大混乱に陥り、次々と井伊の兵が討たれる中、井伊直盛は奮戦するも今川軍の大敗を悟り、もはや無事にこの戦場から逃れることは叶わぬと悟った直盛は、同行する側近(奥山孫一郎)に、自らが自害した後、その身印(首)を掲げて織田兵の振りをして逃れるようにと語る場面のみでした。
その後場面は戦場より戻った多くの負傷兵が井伊の館に次々と運び込まれて手当を受ける様子や、それを受け入れる出陣しなかった井伊家の人々の対応が描かれました。
そんな負傷兵の中に直親の妻:しのの父である奥山朝利(おくやまあさとし)の姿もありました。
朝利は激戦の中で負傷しながらも、主君である直盛の姿を見失った事を恥じる言葉を口にしますが、井伊家における敗戦の混乱がひとまず収まり、皆が各自の立場で協力して当主不在の後の井伊家立て直しに動き、小野政次(但馬守)はその先頭に立って皆に的確な支持をして行きます。
ところがそんな政次の姿に奥山朝利は、政次が井伊家を思うがままにしようとしていると疑念を抱き、奥山の屋敷に政次を招いて殺害しようとします。
通説における政次は、父:政直と同様に井伊家を意のままにしようとした人物とされますが、今回の『桶狭間に死す』ではそんな獅子身中の虫としてではなく、純粋に井伊家のためを思い二心のない好人物として描かれました。

桶狭間の戦いでは、小野政次の弟:朝直(玄蕃)も戦死しますが、朝直(玄蕃)の妻:なつは直親の妻:しのの妹であり、姉妹の父は奥山朝利です。
政次(但馬守)を井伊家にあだなす者と見る朝利は、桶狭間の戦いによって未亡人となったなつが小野家にあることが、朝利に娘とその子を人質に取られることになると考え、政次に対して娘親子を奥山家に返す要求を通達します。
ところが当の本人であるなつは、この朝利が申し入れる以前に直盛の妻:千賀が、出来ればなつ親子に小野家に止まることを望む旨を文によって伝えており、なつ自身も政次のお陰もあって夫(朝直)に嫁ぐ縁を得たとして、できれば小野家に止まりたいという思いを政次に伝え、政次はこうしたなつの言葉に涙を浮かべて喜びます。

かくして政次は朝利に対してなつ親子は奥山家に返さないことを伝え、それはなつ本人の意志であることも併せて伝えます。
ところが朝利は政次の言葉を素直に信じようとはせず、只々政次に対する疑念に固執して、なつ親子を人質として奥野家、ひいては井伊家を懐柔しよとしているという己の考えを、あからさまに政次に投げつけます。
朝利の本心を知った政次は、それまであくまでも丁重になつ親子を小野家にこのまま留め置くよう申し入れていた態度を一変させ、朝利が政次に対してなつ親子を井伊家における影響力を強くするために利用しようとする考えがあるからと考えるのは、その裏を返せば朝利が政次を服従させるための人質としてなつ親子の身柄を要求しているということになるとする言葉を返し、朝利の言動を黙らせてその場を立ち去ろうとしますが、卑怯にも朝利は政次をその後ろ姿から斬りつけ、亡き者にしようとします。
ですが映像としては描かれなかったものの、どうやら朝利は政次に返り討ちにあったようで、深手を負った政次は、次郎法師のもとになんとか辿りつき、奥山朝利を斬ってしまったことを告白します。
果たして次回『走れ竜宮小僧』では、この奥山朝利の小野政次に対する疑心から起きた井伊家中の事件から、政次はどのような裁きを井伊家よりうけるのでしょうか?
そして、桶狭間の戦いのドサクサに紛れて本来自らの城である岡崎城に戻ることの出来た松平元康は、井伊家に対してどのような行動をみせるのでしょうか?

つづく。
それにしても、桶狭間の戦いにおける松平元康の黄金の甲冑、どうよ。
あくまでも今川義元の軍勢として出陣した松平元康の立場からして、あのような主君をも凌駕するようないで立ちを、果たして義元は了承したのでしょうか?
常識的に考えれば、後に天下人:徳川家康となる松平元康を際立たせるための、ドラマ上の設定だとは思うのですが・・・・・。
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でんでんさん演じる奥山朝利

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〜私の作品:ゴールデンウィークの頃に咲く岩湧の森のシャクナゲ〜

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恐縮です。私が撮影した写真のご紹介です。
大阪府と和歌山県の県境にある岩湧山の岩湧の森には、シャクナゲの花がたくさん植えられています。
木漏れ日に照らされて咲く五月の代表的な花:石楠花は、桜とは対極的な清純な美しさです。
今から花の季節が待ち遠しいですよね。


〜直虎:『赤ちゃんはまだか』では、しのは子を生めないのを次郎法師のせいに〜
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『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第8回放送『赤ちゃんはまだか』では、戦国時代の武将の妻は家督を継ぐべき当主の子を産むことが最大の責務であることが、あからさまに描かれました。
今日の男女から見れば「武士の時代の当主はたくさんの妻がもらえ、その妻は、家事をすることもなく優雅な暮らしが出来て良いなあ。」と思われるかもしれませんが、そこには家の跡継ぎを生まなければならないという重大な責務があり、ただただ快楽にひたるなどという軽々しいものではなかったことを、知る必要があるでしょう。

井伊直親の正室:しのは、井伊本家に嫁いで既に4年の歳月を経てなお井伊家を継ぐべき子を産むことが出来ず、それは次郎法師の存在があるためだとして次郎法師を恨みすら抱きます。
次郎法師は、直親との間に未だ子を授からない事に悩む正室:しののために、小野政次に頼んで高価ではあるが子作りに利くという妙薬:麝香(じゃこう)を駿府にて手に入れて欲しいと頼み込んで、ある意味ノイローゼ状態のしのためにと動きます。
しかししのは、次郎法師がいるから信親はいつまでも我が身に愛情を注がず、結果として子ができないと思い込み、来る日も来る日も泣き続ける日々を送ります。
そのあげくには、直親や次郎法師に対して「私に子が出来なければいいと思っているのでしょう。」とあからさまに攻め、次郎法師を刺し殺そうとまでします。

直親はそんなしのの有様を目の当たりにしてため息をつきますが、次郎法師は「なぜため息を吐く?子というのは夫婦が共に心を一つにしてつくるものじゃ。なぜしの苦しみを分かってやろうとはしないのじゃ?」と直親を諭します。

一方松平元康の正室となった瀬名姫は、元康との間に既に一人の子を産み、お腹には次なる子を身ごもっていることを文にて次郎法師に書きつづり、こちらでは、瀬名姫があの三河のぼんやり(元康のこと)との間に次から次へと子ができることを嘆く文面も書き綴りました。
また、今川家に対して目付けの任を受ける小野政次と血縁を結んで政次が井伊家に対して不利な情報などを今川に伝えるなどの行動にでないように、政次の弟:朝直の正室になったなつ(しのの妹)にも既に子がありました。
長きに渡って子が出来ないしのにとっては、自身意外の近しいおなごにはいとも容易く子が出来る事も心痛の種だったでしょう。
しかし井伊家では、このままでは家の跡継ぎの誕生が何時まで経っても望めないと、直親に側女(そばめ)を迎えようとしますが、井伊の井戸の場で直親と次郎法師がしのの存在を疎ましく思っていないことを諭されたしのは、直親の「辛い思いをさせてすまなかった。」という言葉にも励まされて直親や次郎法師に対する思いや、自らの心の有り様を改め、夫婦二人して親である直盛夫婦に対して側女(そばめ)を迎えるのを後一年待ってほしいと願い出ます。
そして一年経っても子が出来なければ、直親に側女(そばめ)を迎えることも拒まないとの決意も直盛夫婦に対して口にしました。

結果としてしのには直親との間に嫡男を生むのですが、その誕生を待たずに、井伊直盛は今川家の尾張攻めのために出陣します。
これこそ、その戦前において誰もが今川の織田に対する敗北など万が一にも無いと信じて疑わなかった桶狭間の戦いとなるのです。

つづく。

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 井伊家嫡男誕生を祈願する直親・しの・直盛

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