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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜二度目の東京オリンピック開催決定に思う:その光りと陰
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪・解釈シリーズ/東京オリンピック(1)
 
 
東京オリンピック開催の効果と悪影響今後の未来展望
1964年の東京オリンピック:追憶編→追憶1960年代
1964年の東京オリンピック:うごめく→その光りと陰
 
前日の幽霊ページの予告に従って、二度目の東京オリンピック開催決定に思うことを記します。
 
オリンピックは冬期オリンピックと夏季オリンピックがあり、東京オリンピックが過去にもあったことはご承知のことと思います。
夏季オリンピックは、1896年のアテネ(ギリシャ)大会より始まります。対して冬期オリンピックは、1924年のシャモニー(フランス)大会から始まります。
現在では冬期と夏季は、開催年を2年ずらして開催されますが、1924年〜1992年(夏季:バルセロナオリンピック・冬期:アルベールビルオリンピック;スイス)までは、同じ年に開催されていました。
しかし、1984年のロサンゼルス(アメリカ)大会以後、アマチュアスポーツの祭典であったはずのオリンピックが、商業化の一途をたどり、『オリンピックは儲かる。なのになぜ同じ年に開催する必要があるのだ!』ということで(これは私の個人的解釈ですが、問題ないでしょう。)、冬期オリンピックは、1994年のリレハンメル(ノルウェー)大会以後、夏季オリンピックの中間年に開催されるようになりました。
当時のIOC会長は、フアン・アントニオ・サマランチ・トレジョースペイン・バルセロナ出身のスポーツ官僚であり、1980年から2001年にかけて国際オリンピック委員会(IOC)の会長を務めた)
【サマランチ会長の功績?】
任期中、サマランチは放映権やスポンサーシップの管理を通じて、オリンピック活動の財政健全化を実現した。1984年夏季のロサンゼルスオリンピックでも、東側諸国の大会ボイコットがあったものの、サマランチの任期中におけるIOC加盟国とオリンピック参加国の数は増加し続けたそうです。
サマランチはまた、最も優れた運動選手がオリンピックで競い合うことを望み、アマチュア精神の維持に心血を注いだアベリー・ブランデージ元会長の方針を大幅に転換し、プロ選手の解禁が漸進的に行われる結果となった。ただし、後述の問題も含めて五輪の商業化、拡大化、権威の低下等を招いたという批判も強く、2012年のロンドンオリンピックからは一部の競技種目が削減される事態を招きました。
サマランチの他の業績としては、IOCの組織再編と、1992年夏季のバルセロナオリンピックを自身の故郷バルセロナに誘致したことが含まれる。1998年の長野オリンピックの閉会式では「ありがとうナガノ、さよならニッポン。」と日本語の挨拶で締め、話題を呼びました。
従って、1992年のバルセロナ大会が、サマランチ会長の豪腕によって開催されたことは、疑う余地もないでしょう。
オリンピックに対する憎まれ口はこれくらいにしておきます。
 
ともわれ、2020年の東京オリンピック開催が決定したことは、私にとっても、とても喜ばしいことです。
 
皆さんは東京オリンピックの開催が過去にもあったことを、近年幾度となく行われた日本でのオリンピック招致活動のおりに度々報じられ、1964年の東京オリンピックの模様などを知る若い方も多いのではないでしょうか。
【1964年の東京オリンピックの成績】 東京オリンピック - Wikipediaより
順位国・地域
1http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a4/Flag_of_the_United_States.svg/25px-Flag_of_the_United_States.svg.png アメリカ合衆国36262890
2http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/72/Flag_of_the_Soviet_Union_%281955-1980%29.svg/25px-Flag_of_the_Soviet_Union_%281955-1980%29.svg.png ソビエト連邦30313596
3http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/79/Merchant_flag_of_Japan_%281870%29.svg/25px-Merchant_flag_of_Japan_%281870%29.svg.png 日本(開催国)165829
4http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ca/Flag_of_German_Olympic_Team_1960-1968.svg/25px-Flag_of_German_Olympic_Team_1960-1968.svg.png 東西統一ドイツ10221850
5http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/03/Flag_of_Italy.svg/25px-Flag_of_Italy.svg.png イタリア1010727
6http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Flag_of_Hungary.svg/25px-Flag_of_Hungary.svg.png ハンガリー107522
7http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/12/Flag_of_Poland.svg/25px-Flag_of_Poland.svg.png ポーランド761023
8http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/Flag_of_Australia.svg/25px-Flag_of_Australia.svg.png オーストラリア621018
9http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2d/Flag_of_Czechoslovakia.svg/25px-Flag_of_Czechoslovakia.svg.png チェコスロバキア56314
10http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ae/Flag_of_the_United_Kingdom.svg/25px-Flag_of_the_United_Kingdom.svg.png イギリス412218
更に詳しくはこちら → 東京オリンピック1964 - JOC
 
私は、1959年生まれですから、当時はまだ5歳でしたが、東洋の魔女(女子バレーボール)・エチオピアのアべべ選手・円谷選手(マラソン)・三宅兄弟(重量上げ)のテレビ中継や、大阪での聖火ランナーを父親の単車(バイク)の荷台にしがみついて見に行った事を鮮明に覚えています。
特に、マラソンの円谷選手は、銅メダルを獲得しましたが、その後に自殺した事件は、流行歌にも歌われ、子供ながらに衝撃的なニュースとして心に残りました。
【円谷幸吉選手の事件の詳細はこちら】 → 円谷幸吉自殺事件(事件史探求) - FC2
 
あれからもう、約50年も経つのですねーっ。
 
 
1964年の大会以前にも東京開催が決まっていた幻の東京オリンピックがありましたよね。
東京でのオリンピック開催を目指す動きが始まったのは、昭和4年(1929年)の国際陸上競技連盟会長エドストレームの来日がきっかけでした。昭和6年(1931年)には、東京市議会でオリンピック招致活動の開始が正式に決定されます。開催予定年は昭和15年(1940年)、この年は日本では紀元2600年―『日本書紀』に書かれた神武天皇の即位から2600年目という意味です―にもあたり、これを記念する一大行事としてオリンピックが位置付けられたのです。
昭和13年(1938年)4月6日付の『写真週報』の「準備は進む 東京オリンピック」と題された記事です。記事の本文や掲げられた写真に添えられた文章には会場計画などの準備状況について書かれています。既に記念品が多数販売されていることも紹介されています。主競技場には、明治神宮外苑競技場を作り変えて使用する案や、駒沢に新たに建設する案などがあり、この時点では検討中だったようです。他にも、駒沢にプールを建設する計画、芝浦の埋め立て地に自転車競技場を建設する計画など、さまざまなものがあったことがわかります。
しかし、この『写真週報』が発行された頃には、実は、オリンピックの実現に向けた道のりには大きな影が差していました。国内外で、開催に反対する動きが起こっていたのです。
東京オリンピック開催に対する反対の動きが起こることとなった大きなきっかけは、昭和12年(1937年)7月7日に盧溝橋事件―日本軍と中国軍との間で起きた衝突事件―が勃発したことと、この翌年には日本と中国との間の戦争(日中戦争)が長期化する見通しが強まっていたことでした。
国内では、国際的な緊張が高まっている状況で、オリンピックなどを開催するべきかどうか、という疑問が出ていました。その一方で、国外からは、日本と中国との軍事的な衝突が問題視され、日本がオリンピックの開催地として適当かどうかが問われていました。特に、国際社会における日本批判は勢いを増し、IOC会長ラトゥール伯爵のもとには、東京オリンピック開催に反対する声が多数寄せられました。こうした事態を受け、日本に辞退を求めることを決めたラトゥール伯爵は、昭和13年(1938年)4月2日、自ら駐ブリュッセル大使の来栖三郎のもとを訪れました。 (5) は、来栖大使が本国の外務大臣に対してラトゥール伯爵の来訪を報告した電報の一部です。これによれば、ラトゥール伯爵は、東京オリンピックの招待状が発送される翌年1月までに日本が戦争をやめていなければ、イギリス、アメリカ、スウェーデンはもちろんのこと、他の国々からも参加拒否の動きが出てくるだろうと述べ、そのような事態を迎えるよりは、自ら辞退を申し出る方が日本にとっても良いだろう、と勧めてきたということです。
結局、日本の国内でも国外でも、東京オリンピックを開催するべきではない、という考え方がさらに広まっていき、日本政府は、昭和13年(1938年)7月15日の閣議で、辞退を正式に決定しました。
 
ところで、一口に夏季オリンピックと言っても、現在では7月の開催ですが、前回の東京オリンピックの開催は、10月10日に開会式がおこなわれています。意外ですよね。
1972年のミュンヘン大会は、9月27日、その後の1976年モントリオール大会以後に7月開催が恒例になったようです。
 
東洋の魔女 (日本女子代表バレーボールチーム)
 
エチオピアのアべべ選手(裸足のマラソンランナー)
 
円谷幸吉選手(改めてご冥福をお祈りいたします。)
 
次回につづく。
 

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