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〜ジャンプ女子:高梨ら日本勢の翼を奪ったのはG?それともJ?
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!Sochi 2014 オリンピックシリーズ
(2014年2月12・13日)〜
小平奈緒さん→悲しい顔は似合わないですよ
高梨沙羅ちゃん→女子ジャンプ陣の翼は・・・
男子ハーフパイプ→スゴイね平岡・岡田選手
上村愛子が負けたのは→ターンの接雪時間
スロープの角野→バックサイドコーク1441
いよいよソチ五輪→頑張るベテラン日本陣
東京五輪の効果と悪影響→今後の未来は
東京五輪決定に思う→私の追憶1960年代
二度目の東京五輪決定に思う→その光と影
「金メダル確実!」と言われ続けた高梨沙羅選手の精神状態を推し量れる者がどれほどいるでしょう。
当たり前の事だが、私は国民の期待を一身に集めた経験は一度もない。
それどころか、親の期待にすら恐怖した。
そんな話にならない話しかない私ですが、高梨選手の思いを語ることをお許しいただこう。
思い起こせば、ロンドンオリンピックで「金メダルを幾つ捕るのだろう!」と、日本の期待を一身に集め、自身でも「プレッシャー?感じた事ないですね。」と語xたあのめた体操の内村航平選手ですら、体操総合の金メダル1つに終わった事は記憶に新しい。
彼にはその後「あの時メダルを量産出来なかったのはなぜ?」といった内容の質問をされて、
「なぜでしょうねーっ、・・・・何か体が言うことをきかなくて・・・・」といった内容の答えをしたとき、
テレビの前の私をはじめとする凡人どもは、「おい、おい、それをプレッシャーと言うんや!」なんて思わず画面に向かって突っ込んだものです。
失礼ながら、内村選手には、プレッシャーという形のない敵の正体を頭では理解できなかったようですね。
でもそんな愛すべきハートの彼なら外野が何を言っても心配はないと思われます。
ところが高梨選手は、いかにも真面目です。おじさんはソチオリンピック以前から心配していました。
結果は、誰もがご承知のように4位だったのですが、モーグル女子の上村愛子選手の前回と今回のオリンピック4位とは、随分印象が違いますよね。
恐らくその印象の違いは、高梨選手が本調子なら やはり金メダル間違いなしという思いが私にもあるからでしょう。
いったい彼女の翼の力を奪ったのは何だったんでしょう。一言で言ってしまえばやはり『プレッシャー(Strong pressure:重圧)』ということなのでしょうが、
私は、重力(Gravity)のGではなく、金メダル(Gold medal)のGと、日本の期待 日本(Japan)のJだったと思います。
しかし、何と言っても「こんなはずでは・・・・。」と誰よりも思っているのは高梨選手本人です。
そんな彼女に対して、毎日新聞は、以下のような見出しを画像に添えて紙面に載せました。
12日朝刊1面 「高梨は4位」 「やはりどこかが違った」
12日夕刊6面(スポーツ) 「高梨 無情の順風」 「初めて逃した表彰台」
12日夕刊10面(社会) 「今夜の涙を忘れない」 「17歳 メダルの重圧」
13日朝刊15面(スポーツ)「17の誓い もっと根太く」「高梨 父と歩むジャンプ道」「また五輪に還って来る」
長野オリンピックの男子団体金メダルメンバーだった原田雅彦さんは、自身のコーナー『原田雅彦の解雪・氷論(かいせつ・ひょうろん)』の中で、「運も必要 五輪の難しさ」という見出しと共に、「・・・・高梨の1、2回目ともに不利な追い風が吹いていた。上位4人のうち、2回とも追い風を受けたのは高梨だけ。・・・・」と記しています。
なるほど、日本国民みんなの応援も、ジャンプの瞬間の風も、追い風のはずが逆風だった。ということだったんですね。
ところで忘れてはならないのは、ジャンプ女子に挑んだのは高梨選手だけではありません。
伊藤有希選手(土屋ホーム)は 7位入賞です。おめでとうございました。なぜ紙面に画像が無いのでしょうね。
山田優梨菜選手(白馬高校)は30位でした。彼女も若いので、次回も有りますね。
そして、もう一人、日本人選手がエントリーしていました。
カナダ代表の田中温子(あつこ)選手22歳です。結果は12位と大健闘です。
彼女は両親とも日本人で、カルガリーで生まれ育ったそうです。
父が高校時代にジャンプをしていた影響で兄がジャンプを始め、サッカー少女だった彼女もその様子を見て10歳からジャンプを始めたそうです。
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2014年02月15日
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〜小西行長屋敷跡(行長の子孫と開口神社の手水鉢の謎に関係が・・・)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ
開口神社は堺の歴史→奈良時代から
塩.海.神助けの神→神塩土老翁神
龍神の化身?→開口神社手水鉢の像
スサノオは天界を追放され→守り神に
住吉大社第四神と→松風&舳松神社
コーヒーブレイク?が→泉陽高等学校
堺の幼稚園発祥の→記念碑は必要?
開口神社の境内に→他にもこんなもの
三宝荒神は日本独自の神様→竈神社
風鈴・日常の風景・淡路島→山本梅史
開口神社の薬師社→薬師如来は神?
唯一神明造りと大社造り→そのルーツ
纒向遺跡まきむくいせき→新事実発表
貧乏神が石になって→福の神になる?
桜井神社の起源は水神?→桜井古跡
スサノオ妻の母を祀った?→起源の真実 イザナミ孫の神社→三宝荒神の神社に
霰松原神社にある物→3社・楠・忠魂碑
蜂田神社から→藤原氏と天皇と話神を
新年への架け橋→ビル上から明石大橋
2013年を振り返る→当サイトの画像 前回のページでは、堺は秀吉や信長に対立したことを、史実を交えてお伝えしました。
その中で、堺にはキリシタンの武将もいたとご紹介しました。
さて誰を思い浮かべますか?ヒントとしては、これまでのページの中でも名の出た武将です。
このページを見れば明らかなよに、その名は小西行長です。
〜菅原神社:随神門(菅原道真像が安置されている)(2014年1月3日)〜の中で菅原神社の随神門には小西行長が手植えしたという『傘松の幹』が安置されていることをご紹介ずみです。
そしてその小西行長の屋敷は、ここ堺市の菅原神社にほど近い阪堺線妙国寺前駅と神明町駅のちょうど中間くらいに有ります。阪堺線は〜初詣:正月の住吉大社はチンチン電車で(2014年1月3日)〜や〜魚眼で見る あべのハルカス(縦位置撮影):目線は上から (2013年7月21日)〜にも画像紹介したのでご存知ですよね。
「えっ、肝心の小西行長がわからない?」
そんなバカな、歴女とか言われて今では詳しい人が多いと思っていましたのに。
それではご紹介しましょう。
【小西行長とは】
小西 行長(こにし ゆきなが)は、洗礼名アウグスティヌスを持つ戦国時代から安土桃山時代にかけてのキリシタン大名です。
和泉国堺の薬を主に扱う商人である小西隆佐の次男として京都で生まれましたが、岡山の商人の家に養子として入り、商売のために度々宇喜多直家の元を訪れていた時に、直家に才能を見出されて武士となり、家臣として仕えることとなります。その後羽柴秀吉が織田信長に中国攻めを命ぜられ、三木城を攻めた時、宇喜多直家から使者として秀吉の下へ使わされて秀吉と出会い、その才知を気に入られ、臣下となります。 文禄・慶長の役(秀吉軍の朝鮮出兵)の際、虎退治の講談の一節で知られる加藤清正と先陣を争ったことでも有名です。関ヶ原の戦いにおいては西軍(豊臣軍)の将として奮戦しましたが敗北し、切腹を拒否して斬首されました。
世に聞こえた武将でありながら、彼が切腹を拒否した理由は、恐らくキリスト教徒として自決の選択肢が無かったからでしょうね。
ところで、キリシタンと言えば、以前のページを思い出しませんか?
そうです、〜初詣:開口神社(あぐちじんじゃ)の手水鉢には不思議な像(堺市2014年1月3日)〜では、開口神社(あぐちじんじゃ)の手水鉢には、隠れキリシタン?に縁の有り気な家紋(神社の紋とは異なる)が有りましたよね。
この手水鉢の謎を知りたくて検索する内に、手水鉢の紋に関係が有りそうな記述が有りまして、それがまた小西行長にも関係しているのです。
彩 -sai- 開口神社では、開口神社の神輿舎は、享保17年(1732)11月、江戸下谷池之端の商人守田治兵衛によって再建されました。
守田治兵衛は江戸に店を構えていた「さかい屋」という屋号の薬種問屋でしたが、祖先は堺梅香町河内屋藤七から出ているそうです。(『堺市史』) この9代目治兵衛は,堺の豪商小西隆佐の次男として生まれた小西行長が薬屋から大名に出世したことにあやかろうと思い、小西行長の子孫を跡継ぎにしたかったらしくほんとに見つけてきて跡を継がせたそうです。10代目守田治兵衛は、その小西行長の子孫だとか(『実業家奇聞録』)
という文章を紹介しています。
彩 -sai- 開口神社の管理人さんは、この記述によって開口神社の手水鉢にある十字架のような家紋は、キリシタン大名だった小西行長の子孫として守田治兵衛の養子に向かえ入れられた10代目守田治兵衛に関係性があるのではないかと言いたいのではないでしょうか。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ae/Konishi_Yukinaga.jpg/240px-Konishi_Yukinaga.jpg http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5d/Bunrokunoeki_shinro.JPG/200px-Bunrokunoeki_shinro.JPG
小西行長の肖像 文禄の役での小西行長の進路(黄色)
(小西行長 - Wikipediaより)
小西行長屋敷跡
小西行長屋敷跡の説明板 |
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