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〜明日香村:益田岩船(松本清張の仮説とは?)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
−飛鳥坐神社のページ−
正確に言えば、益田岩船(ますだのいわふね)は明日香村にあるのではなく奈良県橿原市白橿町にあります。
でもそんな細かいことはいいじゃないですか、私は博物館の学芸員ではないのですから。
http://asajihara.air-nifty.com/photos/asuka20061119/matumotosakafune.jpg「松本清張「火の路」誕生秘話」&「益田岩舟」には、上の画像にあるように、真上から益田岩船を撮影した画像もありますが、恐らく真上から撮影した頃には、周囲の竹林は今ほど茂っていなかったか、なぎ掃われていて、ヘリコプターか何かから上空より撮影したのでしょう。
それと、2つの凹部の中に雨水がないのは、この撮影や調査のために、ワザワザ水をくみだしたのでしょうかね?
益田岩船のネット上の画像の中にも、岩の向こうの展望が開けている画像が幾つかあります。
ですが、現在は完全に竹林の中にうもれています。
私も明日香村にある多数の石造物の画像を調べるうちに、益田岩船の存在を知ってからは、ぜひともこの眼で見たいと思い、この地を訪れたのですが、想像以上に巨大で圧倒され、しかも、人の目線では、その全体像を見ることももできません。
だからこそ、その巨大さに大感激しました。
正直なところ、ネット上に益田岩船の画像を紹介している方々はよくその姿を捉えていると関心したくらいです。つまり、それほど巨大な物が竹林の繁茂を拒絶して、最低限の空間の中に、圧倒的な存在感をもって在るということです。
さてここまでご紹介して気になるのは、やはり松本清張と益田岩船の関係ですよね。
小説家の松本清張は「火の路」の中で、他の明日香の石造物などと同様に、斉明天皇の時代に渡来して来たペルシャ人の工人が益田岩船を制作したものとし、ゾロアスター教の拝火壇と結論づけているそうです。アケメネス朝ペルシャの歴代の王の墳墓があるナクシェ・イ・ロスタムにある拝火壇に似ているというのです。
益田岩舟(南面より撮影)
立ち位置の4メートルの高さから撮影 ゾロアスター教の拝火壇
(一言:どうです、益田岩船に似ていますか???天下の松本清張さんが言うのですから、
百歩譲って強いて似ている点を探すなら、土台部分のことを言っているのかな?)
益田岩舟(南面より撮影)
人目線で撮影
益田岩舟(南面より撮影)
立ち位置の6メートルの高さから撮影 益田岩舟(南面より撮影)
立ち位置の9メートルの高さから撮影
向かって左側の凹部には雨水が溜まっていなように見えるかもしれませんが、そうではなく、水面をおおうように竹の落ち葉が浮いているために茶色く見えているのです。
次回は、益田岩船を東と西それぞれの側から撮影した画像をご紹介し、
この岩についてのお話を更につけ加えたいと思います。 |
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2014年10月12日
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