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〜明日香村:川原寺跡と川原寺復元模型と対比して見る〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
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聖徳太子生誕の地とされる橘寺の向かいには、広大な寺院跡が残っています。
今は礎石などを残すのみであり、その全体的な配置などについては、人目線では確認できません。
その寺院跡にある説明板によると、『川原寺跡』と記されていました。
今回は、飛鳥資料館に展示されている『川原寺の復元模型』を合わせてご紹介することで、それぞれの礎石が何と言う建物の跡地であるかを理解していただこうと思います。
以下は川原寺 - Wikipediaの記述です。
川原寺(かわらでら)は、飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に所在した仏教寺院。金堂跡に弘福寺(ぐふくじ)が建てられている。
飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院であったが、中世以降衰微した。川原寺跡は国の史跡に指定されており、現在はかつての中金堂跡に川原寺の法灯を継ぐ真言宗豊山派の寺院・弘福寺が建つ。
川原寺は、飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並ぶ飛鳥の四大寺に数えられ、7世紀半ばの天智天皇の時代に建立されたものと思われるが、正史『日本書紀』にはこの寺の創建に関する記述がない。そのため創建の時期や事情については長年議論され、さまざまな説があり、「謎の大寺」とも言われている。平城京遷都とともに他の三大寺(飛鳥寺、薬師寺、大官大寺)はその本拠を平城京へ移したが、川原寺は移転せず、飛鳥の地にとどまった。平安時代最末期の1191年の焼失後は歴史の表舞台から姿を消し、発掘された瓦や塼仏(土で作り焼成した仏像)、堂塔の礎石以外には往時をしのばせるものはない。
川原寺の建造物配置図
川原寺跡
高さ9メートルの高さから撮影
魚眼レンズで撮影しているので画像は湾曲していあますが、
もちろん礎石は直線的に内地されています。
川原寺復元模型(飛鳥資料館にある)
川原寺跡
人目線で見ると
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2014年10月26日
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