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〜明日香村:これが本当の川原寺跡全体像〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
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前回の〜明日香村:川原寺跡と川原寺復元模型と対比して見る〜では、川原寺跡のどの場所にどんな建造物が建っていたかを説明するために、川原寺跡を9メートルの高さから撮影した画像と川原寺の建造物配置図と川原寺復元模型を並べてご紹介しましたが、それで全ての建造物の位置が説明できていたかというと、実はそうではないのです。
その証拠として前回の川原寺跡の画像に当時の建造物名を記入すると以下のようになります。
ところが、川原寺全体像は、以下のようになっています。
つまり、中金堂が当時建っていた場所に、現在は弘福寺(ぐふくじ)が建っているのです。
現在の弘福寺(ぐふくじ)を中心にした画像
(飛鳥時代当時の建造物名を記入)
川原寺跡は現在の弘福寺の後ろにも講堂跡があります。
ただし、中金堂跡=弘福寺の左側にあった建造物が何だったのかは、?(不明)です。
以上で、川原寺跡の各部分(南門・中門・塔・西金堂・中金堂・講堂)の説明が全てできたわけです。
更に塔の建っていた場所のみを撮影した画像もご紹介しておきます。
川原寺の塔跡
人目線
昭和32年から34年(1957 - 1959年)に実施された発掘調査で、川原寺の伽藍配置は一塔二金堂式の特異なものであったことが判明し、「川原寺式伽藍配置」と称されている。川原寺では中門左右から出た廻廊が伽藍中心部を方形に区切り、廻廊の北辺中央に中金堂が位置する。廻廊で囲まれた区画内には中金堂の手前右(東)に五重塔、西に西金堂が建つ。廻廊内に仏堂と塔が左右に並んで建つ点は法隆寺西院伽藍と類似するが、法隆寺金堂が南を正面とするのに対し、川原寺西金堂は東を正面とし、塔のある方向に向いて建てられている点が異なる。発掘調査の結果によれば、西金堂は現存する唐招提寺金堂と同様に正面を吹き放ち(建具や壁を入れずに開放とする)とした建築であり、中金堂は正面三間×側面二間(「間」は柱間の数を意味する)の母屋の四方に吹き放ちの庇をめぐらした開放的な建物であったことがわかっている。これらの建物は後にことごとく失われ、礎石のみが残っている。中で、中金堂の礎石には他に類例のない大理石の礎石が使用されている点が注意される(寺伝では「瑪瑙」の礎石と称するが、実際は大理石である)。また、川原寺から出土する創建時の瓦は「複弁蓮花文瓦」と呼ばれる、8枚の花びらのそれぞれを2つに分けた形式の複雑なデザインのもので、これが以後の瓦文様の主流となった。
●炎上とその後
川原寺は建久2年(1191年)炎上したことが、九条兼実の日記『玉葉』の記載からわかる。また、1070年)の「近江国弘福寺領荘園注進」という史料に、荘園にかかわる文書(もんじょ)が弘福寺(川原寺)の火災で焼けてしまった旨の記載があることから、延久4年以前にも火災のあったことが推測される。川原寺は鎌倉時代にはいったん再興されるが、室町時代末期に雷火で再び焼失し、以後はかつての規模を取り戻すことはなかった。
昭和49年(1974年)、川原寺の裏山の板蓋神社から、千数百点におよぶ塑像の断片や塼仏が発掘された。塼とは土製品を焼いたもので、材質的には煉瓦に近い。川原寺裏山からは、縦横とも20cmほどの板状の塼に三尊仏を浮き彫りにした三尊塼仏が大量に発掘されている。塼仏が1箇所から大量に発掘された事例は日本で他になく、その用途ははっきり解明されていないが、仏堂の壁面を塼仏で埋め尽して荘厳していたという説が有力である。
現在、川原寺跡は南大門、中門、廻廊などの旧位置がわかるように整備されている。中金堂跡付近に建つ弘福寺は川原寺の法灯を継ぐ寺院で、重要文化財の木造持国天・多聞天立像(平安時代前期)を安置する。 |
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2014年10月27日
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