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〜明日香村:石と言えば 石舞台 なんですけど・・・・・。〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
−明日香村の古墳−
●その他 明日香村のページ●
明日香村の石と言えば石舞台なんですけど、今は入園料が250円、更に駐車場料金として500円も必要だなんて、ちーとも知らなかったのです、私は。
入園すると復元された石棺があると紹介されていますが、でもねーっ・・・・・桜満開の頃なら250円払うかなーっ・・・・・・いやーっ、どうだろう?
まあ、マイ自転車で見て回っているので、駐車場料金は関係ないんですけどね。
なので今回は向かいの小高い田んぼのある場所から撮影しました。そこにはベンチも複数設置されていて、距離はあるものの石舞台は良く見え、油絵を描いている方もおられましたよ。
石舞台古墳 - Wikipediaの記述によるとまた、三重中京大学名誉教授の上野利三は石室の壁に「馬子墓」の文字が刻まれており、肉眼でも確認可能との説を主張している。』
なんですが、石舞台古墳の近くで最近話題になっている都塚古墳も蘇我馬子の墓ではないかと言われているんですよね。
(一言:どっちやねん。です。)
石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、墳丘は現在失われているが、下部は方形で、20-50センチメートル大の花崗岩の貼石を約30度の傾斜で積み並べられていた。墳丘の周りに幅5.9-8.4メートルの空堀がめぐり、幅約7.0メートルの外堤が設けられている。外堤を復元すれば一辺約80メートルで、高さは約1.2メートルである。
また、一辺51メートルの方形基壇の周囲に貼石された空濠をめぐらし、さらに外提(南北約83メートル、東西81メートル)をめぐらした壮大な方形墳であるという。
彼岸花の白花が3輪くらい咲いていました。
石舞台古墳の復元CG
奈良県明日香村と関西大学、東京大学などのグループによる |
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2014年11月03日
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〜明日香村:弥勒石の祠にわらじが吊り下がっている理由は?〜
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−飛鳥坐神社のページ−
弥勒石のある場所は、飛鳥寺の南西方面、徒歩で10分くらいの真神原の西に流れる飛鳥川の右岸にあるのですが、明日香村現地で無料で入手できる『明日香村わくわくマップ』にはその位置が印されておらず、恐らく現地でこの石をみつけようとすると、意外に見つからないと思います。事実、私も危うく見過ごすところでした。
この石は、地蔵菩薩を思わせる形状をしています。高さ約2メートル、幅約1メートル。条里制の標石とも言われますが確かな用途は不明だそうです。この石を拝むと下半身の病気が治るという伝説があり、現在は石を被う祠が建てられ、地元の方々の信仰対象となっています。
弥勒石の祠には、多くの草鞋(わらじ)が奉納と言うか、吊り下げられていますが、神社に草鞋(わらじ)を奉納するという風習は、私も他の神社で幾つもみました。
ところが、鞋(わらじ)を奉納する理由については、以外にも定かではないようです。
この弥勒石に限って言えば、下半身の病気が治るという伝説から、いつまでも健脚でありたいという意味で履物を奉納したのかもと考えることも出来ますが、果たしてそうでしょうか?
一つの仮説として、はきもの作りは百姓の重要な副業であり、市で売って貴重な現金収入の元となったので、金銭的価値のあるものを奉納することに意味があったとする記述もネット上に見られました。
という記述がありました。
この記述からは、祈願者のための履物(わらじ)ではなく、信仰対象を大切にする思いから、神様や仏様のおみ足を守る履物として草鞋(わらじ)を奉納する信仰があることがわかります。
(一言:日本昔話には、笠地蔵というお話があります。わが身の願いよりも、まずは神や仏を敬い気遣う思いがあってこそ、御利益があるという、日本古来の美しい信仰心を忘れてはいけませんね。)
弥勒石のお顔は、人々がおりにつけ手でなぜたせいか?目鼻だちがほとんど無くなってしまっています。
ですが、そのかすかな表情とお姿は、大きな石地蔵を思わせます。
干ばつや冷害などによって作物の収穫がままならなかった時代、農家の方々は、豊作になったことを感謝して草鞋(わらじ)や作物をお供えし、不作だった年には、人々の信仰心が足りなかったためだと草鞋(わらじ)をお履きくださいとお供えしたりした風習が、今日にまで受け継がれ残ったのですが、人々の信仰心は時代と共に薄れ、なぜ草鞋(わらじ)をお供えするのかさえ分からなくなってしまったのかもしれません。
なるほどよく見るとお地蔵さんのお顔のように見えますね。
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