|
〜明日香村:飛鳥坐神社 飛鳥神奈備三日女神は地元の神ということで〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
●その他 明日香村のページ●
今回は飛鳥坐神社の4祭神のうちの飛鳥神奈備三日女神(あすかのかんなびみひめのかみ)のご紹介です。
その前に飛鳥神奈備三日女神という神の名の中にある神奈備について知っておく必要があるでしょう。
これまでにも幾度かご紹介したように、仏教が伝来する以前の日本は、自然崇拝の考えにより、山・海・川・森・風・太陽などなど、自然そのものに神や御霊が宿るとする神道のみが信仰の対象でした。
そして神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とは、神道において、神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁(よう)した領域、もしくは、神代(かみしろ)として自然環境を神体(しんたい)とすることで、神名備・神南備・神名火・甘南備とも表記されることがあるそうです。
つまり、これらのうち甘南備以外は、『かんなび』の『な』のみが言葉の発音によって表記した表音文字として代用し、違う漢字が当てられている例ともとれます。
神奈備が以上のような用い方をされたのなら、『奈』のみが確定していなくて、『神』・『備』はほぼ確定です。
なので神奈備を表音としてではく、表語=文字から言葉の意味を知ろうとすると、、『神』・『奈』・『備』は、『神』が『備』わる『奈』ということです。
では『奈』とはなんでしょう?
現代では飛鳥は明日香と表記され、その地は『奈』のつく奈良県にあります。
そこで奈良という地名にどんな意味があるのかという疑問が沸きます。
奈良のナラは韓国語のナラ(国)という意味ですか? - 教えて!gooには以下のような問答が紹介されています。
(質問)
知り合いの朝鮮人が言っていました。『奈良のナラは韓国語のNARA(韓国語で“国”)という意味だ。つまり、百済人が古代日本を植民地支配していた証拠だ。倭人は百済人の奴隷だった。韓国の学校教育で習った事実だ。』と言っていました。
奈良のナラはどういった意味ですか?
(回答)
奈良という地名は、万葉集など少なくとも1300〜400年は遡れますよね。しかしその時代の朝鮮語(所謂、古代朝鮮語)は「分からない」というのが常識になっています。なぜなら、その当時の発音を記した史料が残っていないからです。
日本では、平仮名がまだ発明されていなかった時代に、本来表語文字である漢字を表音文字として使用するという、ウルトラC(万葉仮名)によって当時の発音を記録しました。幸運にもそれが現代まで残っているので、当時の発音を知ることが出来ます。
しかし、古代朝鮮語という言葉の発音は、残らなかったのかそれとも最初から記録しなかったのかは分かりませんが、現代まで残っていません。韓国の方は決まって「それは秀吉が…」と言いますが、実際のところは??です。 (一言:「豊臣秀吉が朝鮮出兵で当時の韓国をメチャメチャにした。」と言いたいのでしょう。かの国は。)
つまり、「なら」という言葉は、その言葉が生まれた時代の言葉で比較しないと意味がないということです。いくら現代の言葉で発音が似ているとしても、それでは後出しじゃんけんに近いもので、正しい比較方法ではありません。
ですので、控えめに言って「分からない」、先述の書き込みを参考にして普通に言うと「違う」というのが正しいかと思います。 韓国の教科書、特に歴史教育の精度はかなり怪しい部分もありますので注意してください。 (回答へのお礼)
万葉仮名を使って「万葉集」を残してくれた日本のご先祖様に感謝ですね。
ナラとは楢。
つまり当時の日本語で「ならされた土地」を意味するものだと理解できました。 ありがとうございました。 私が思うに、「百済人が古代日本を植民地支配していた証拠」かどうかは別として、奈良には国という意味がある」というのは、当たらずとも遠からずだと思えます。
なぜなら、『奈』を「国」という意味に理解すれば、『神奈備』は、『神』が『備』わる『奈=国』こと、神宿る国もしくは神宿る地という古代の日本を的確に表す言葉の意味となります。
そして神奈備 - Wikipedia は、
神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とは、神道において、神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁した領域のこと。または、神代(かみしろ)として自然環境を神体(しんたい)とすること。神名備・神南備・神名火・甘南備とも表記。
と記しています。
以上の情報を踏まえた上で、やっと飛鳥神奈備三日女神(あすかのかんなびみひめのかみ)をご紹介できます。
飛鳥神奈備三日女神は、加夜奈留美(かやなるみ)と同一神とされているようです。
カヤナルミ - Wikipedia によれば、
『出雲国造神賀詞』には「賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神登貢置天」とあり、「大物主櫛長瓦玉命」、「阿遅須伎高孫根乃命」(アヂスキタカヒコネ)、事代主とともに皇室を守護する神として述べられている。『延喜式交替式』、『類聚三代格』には「賀屋鳴比女」とある。『古事記』、『日本書紀』にその名がないため、その出自は明らかではないが、『古事記』の大国主の系図に登場する鳥鳴海神(トリナルミ)や布忍富鳥鳴海神(ヌノシトミトリナルミ)(どちらも男神)との関連が考えられる。
『日本三代実録』によると貞観元年(859年)正月二七日に大和国の賀夜奈流美神を従五位下から正四位下にしたとある。
と紹介されています。
現在の飛鳥坐神社は明日香村を流れる飛鳥川から少し離れた場所にありますが(川というものは、流域を時と共に変えるものなので、飛鳥時代には飛鳥坐神社に隣接して流れていたかも。)
そして加夜奈留美(かやなるみ)神社は、その飛鳥川の上流、栢森(かやのもり)の集落に鎮座しています。
加夜奈留美命神社のページでは、 加夜奈留美命は、飛鳥の神奈備に坐して、皇孫の守護をした神で(「延喜式」出雲国造神賀詞)「五郡神社記」や「大神分身類社鈔」に高照姫命のこととする。「延喜式交替式」「類聚三代格」には「賀屋鳴比女」とも記し、天太玉・櫛玉・臼滝神とともに飛鳥神の裔神とみえる。「三代実録」貞観元年(859)正月二七日の条に大和国従五位下賀夜奈流美神に正四位下を授けたとあり、四裔神のなかでは最も神位が高い。
飛鳥神奈備は天長六年(829)鳥形山(現大字飛鳥)に移されたが、その後も賀夜奈流美神の本霊は旧地にとどまったものと考えられる。 明治に至り、富岡鉄斎が復興・顕彰、彼の「公私事歴録」に「大和高市郡栢ノ森村鎮座加夜奈留美命神社、古頽敗之上意外小祠ニ付、書付ヲ認其由緒ヲ述シ県江出ス、并ニ金五円ヲ奉納、村人区長社ヲ新築ノ挙ト成」と記す。式内加夜奈留美命神社の鎮座地については異説もあり「五郡神社記」は飛鳥坐神社 (現大字飛鳥)後南方にあっ治に至り、富岡鉄斎が復興・顕彰、彼の「公私事歴録」に「大和高市郡栢ノ森村鎮座加夜奈留美命神社、古頽敗之上意外小祠ニ付、書付ヲ認其由緒ヲ述シ県江出ス、并ニ金五円ヲ奉納、村人区長社ヲ新築ノ挙ト成」と記す。式内加夜奈留美命神社の鎮座地については異説もあり「五郡神社記」は飛鳥坐神社 (現大字飛鳥)後南方にあって磐石神窟をなすとし、大字細川の小字貝成(かいなり)にあるという説もある。
「高市郡神社誌」は雷丘に求め、当社を式内滝本神社とする。滝本神社は祭神・所在ともに未詳。「五郡神社記」には「在波多郷稲淵滝瀬本但細川之川上、宮道君相伝云、牟佐築田坐生雷公与波多滝瀬坐生竜師如兄妹也」とある。て磐石神窟(大きな岩の神のいわや)をなすとし、大字細川の小字貝成(かいなり)にあるという説もある。
(一言:つまり「加夜奈留美命神社は、飛鳥時代ごろには現在の場所ではなく、飛鳥坐神社より南方(飛鳥川下流)にあって、大きな岩の神のいわやだった。」という説もあるということでしょう。)
「高市郡神社誌」は雷丘に求め、当社を式内滝本神社とする。滝本神社は祭神・所在ともに未詳。「五郡神社記」には「在波多郷稲淵滝瀬本但細川之川上、宮道君相伝云、牟佐築田坐生雷公与波多滝瀬坐生竜師如兄妹也」とある。と紹介しています。
ということで、ごくごく単純には、地元:飛鳥 の地の守護神と理解していいのでしょうかね。
![]() |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2014年11月11日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




