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〜真田丸:秀頼の誕生後も秀長が健康で長生きなら、ひよっとして豊臣は〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
豊臣秀長 - Wikipediaによれば、
豊臣政権において、秀吉は隣に配して重用し、秀吉に異を唱え制御できる唯一の人物として短期間で急成長を遂げ、徳川家康や伊達政宗など有力外様大名を多く抱える豊臣政権における調整役であり、政権の安定には欠かせぬ貴重な人物だったとされる吉の実弟:豊臣秀長は、秀吉の信頼厚く、その片腕として辣腕を揮い、豊臣政権において内外の政務と軍事の両面で活躍を見せ、天下統一に大きく貢献したとされています。
しかし、1589年7月9日(天正17年5月27日)に棄(すて)が誕生し、1589年2月25日(天正17年1月21日)に聚楽第落書事件が起こってからは、行け行けドンドンの豊臣政権に陰りがさし、その後の1591年2月15日(天正19年1月22日)には秀吉より先に病死してしまいます。
もしも茶々が生んだ棄や秀頼の誕生により秀次が切腹となり、揺れ動く豊臣政権の中で、秀長が秀吉亡き後も健在であったなら、ひょっとしたら大阪城は史実にあるような終焉を迎えず、徳川の天下は無かったかもしれません。
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