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〜真田丸:秀吉が棄を失い、二度と子を失うまいと第二子を拾としたって本当?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
後に豊臣秀頼となって秀吉の後継として徳川家康と対峙し、大阪夏の陣にて生涯を終える淀殿の第ニ子:拾(ひろい)は、『NHK大河ドラマ 真田丸』第26回放送『瓜売』で誕生を描かれ、第27回放送『不信』でその誕生で豊臣家に不協和音が広がって行く様子が描かれました。
ご存知のように秀吉と淀殿との間に生まれた?第一子は幼名を棄(すて)と名づけられましたが、数え年3歳で亡くなりました。
その後再び淀殿は拾(ひろい)を生むのですが、どちらもおかしな名前ですよね。
この事に疑問を持って調べた方は少なくないと思います。
そしてたどり着く答えとしては、「捨て子は元気に育つ」という験を担ぐ(げんをかつぐ)ことで我子が無事に育つことを願ったため。という記述だったはずです。
確かにそう言われると、現代とは違って衛生面や栄養面などにおいて新生児の生存率が非常に低く、幼児の内に他界する事も多かった時代にこうした名を付けるのは至極当然のように思えます。
しかしです。
はたして棄(すて)という名は、本当に元気に育つことを願って名づけられたのでしょうか?
第二子はなぜ拾(ひろい)と名付けられたのでしょうか?
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2016年07月12日
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