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〜真田丸:昌幸、信之、信繁は官位を得たことで何を得、何を失った?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
〜真田丸:とりは大往生を延期してまで言って聞かせたのに、早くも信之は〜でご紹介したように、『NHK大河ドラマ 真田丸』第27回放送『不信』では、。文禄3年(1594年)11月2日に真田信之は従五位下伊豆守、真田信繁は、従五位下左衛門佐を叙任されたことが描かれました。
また、ドラマでは描かれませんでしたが、叙任されたのは、兄弟だけではありません。
父:昌幸も従五位下安房守を叙任されています。
この叙任により、ドラマでは信之が信繁に激しく怒る様子が描かれました。
実際にはそのようにあからさまに怒ったなどという事実はなかったと思いますが、二人はこれにより何を得、何を失ったのでしょう?
それにはまずただ階級を示す「従五位下」ではなく、それ以後の伊豆守、伊豆守、左衛門佐という呼称の示す役職について知る必要があります。
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2016年07月13日
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〜真田丸:稲の聚楽第行き拒否。秀吉の人質政策こそ豊臣滅亡の原因かも〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
これより『NHK大河ドラマ 真田丸』の展開は、秀吉の家族であった秀次、秀勝、秀保、秀俊(小早川秀秋)、日本各地の大名、織田信長の家臣として秀吉と行動を共にした前田利家ら(織田信雄を含む)、豊臣家の中にあって他の豊臣家臣から嫌われた石田三成、豊臣秀頼の母としてあくまでも権勢を欲しいままにしたかった淀殿、賤ヶ岳七本槍と呼ばれて秀吉の権勢に貢献して来た加藤清正、福島正則、片桐且元、平野長泰(ドラマでいつもスルメをくえているおっちゃん)らの徳川への加担、北政所のスタンス、毛利家内の勢力分裂、四国・九州勢の動き(島津家の分裂など)、などが複雑に絡んで、豊臣家の滅亡へと大きくかかわって行きます。
それぞれの人間模様があまりにも複雑であるため、恐らくドラマ上では描ききれません。
ですが視聴者の皆さんには、現在ドラマ上によく登場している淀殿、家康、北政所、秀次、秀保、秀俊、石田三成、加藤清正、片桐且元、平野長泰、宇喜多秀家、大谷吉継らの今後の動向だけでもしっかりと見て頂きたいと思います。
もちろん当ブログでは、可能な限り、各武将について記したいとは思っていますが、力及びますかどうか?
さて、今後のドラマ展開についての注目点についてはこれくらいにして、そもそも豊臣が滅び、徳川の世となった理由とは何なのでしょう?
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