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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜真田丸:石田三成の功績は徳川家康によって受け継がれ
      サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編 
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石田三成は豊臣家内部においてもとにかく敵を作りやすい人物、つまり嫌われ者としてのイメージが定着しています。
三成が、人と接する時に「NHK大河ドラマ真田丸」で描かれているような無粋な態度をとっていたのかどうかはわかりませんが、とりわけ戦場において戦う武闘派の武将からはほぼ全員に嫌われていたようで、三成についての逸話の中には、
大谷吉継が三成への与党を決意したとき、三成に対して、「お主は才智に長けているが勇が足りない。誰よりも真っ先に命を捨てる覚悟で戦陣に挑んでもらいたい」。「お主は横柄で傲慢だと上は大名から下は民百姓までが噂している。お主には失礼だが人望が無い。人の上に立つ者(総大将)は人望が無ければならぬ。お主がでしゃばれば、豊臣家大事を誓う者まで内府(家康)のもとへ走らせる。ゆえに総大将は安芸中納言(毛利輝元)殿、副大将は備前宰相(宇喜多秀家)殿を立て、お主は影に徹しよ」と諫言した(『常山紀談』)
という逸話もあります。
それは三成が戦場の報告などにおいては人情を全く考慮することなく、有りのままに秀吉に伝えるため、それによって秀吉による処分や不興をかった者が多かったことが嫌われる大きな原因でした。
また、関ケ原の戦いに先んじて、会津征伐に従軍していた諸大名の妻子を人質に取ろうとしますが、細川ガラシャに自害されたりして失敗した。この処置がかえって東軍の諸大名を激昂させるなど、
嫌われ者にふさわしい話は数多くあります。

そんな三成だから・・・と言うべきか、そんな三成ですが・・・と言うべきか、三成は秀吉のもとで数多くの功績を残しています。
主だったものとしては、
1.太閤検地 (生産高の掌握と年貢増加)
2.御前帳徴収 (ごぜんちょうちょうしゅう:国郡村別の生産高の一覧表)
3.刀狩令 (農民の武器所有禁止)
4.人掃令 (全国人口調査)
など多くの推進ですが、ネット上にはこれらは三成が推進したという確たる証拠は残っていないとの記述もありますが、CS放送での『THE 歴史列伝(関ケ原の戦い 第一部)』では、三成がこれらの政策を推進したとし、これらの政策により、権力の在り方が日本の隅々まで行き渡ったと述べられていました。
これらにより税金がガッツリと取られるという悪い面もありますが、これらによって平和な世の中になり、犯罪が激減したことは、何にも代えがたい好影響をもたらしたとしていました。
つまりこれまでの権力は、税金を取るだけで民の安全を保障する役目は果たさなかのに対して、三成の推進した政策によって、権力が税金の代わりに、今までにはなかった民の安全を守る機能が備わったと言うのです。
そしてこの事は逆に言うと、三成の敷いた路線の上を走って行ったのが江戸幕府であり、三成が江戸幕府の原型を作ったと言っても過言ではないそうです。
一言:しかし三成の主君:秀吉は、晩年に民に対してそれはそれは惨忍な行いをしてしまいましたけれどね。)

そして徳川幕府の祖となった家康は、個人的には三成の事を嫌ってはいなかったとも語られました。
その根拠となる事例として、
三成自身は関ケ原の戦いにおいて徳川軍に敵対した首謀者として斬首されますが、その子供たちについては、一人として処刑していないことが上げらていました。

家康が三成を嫌っていなかったことを裏付ける更なる事例として、
大奥において三代将軍:家光の乳母として権勢を誇ったことで知られる春日局が、この娘ならば家光様も気に入って頂けるだろうと推奨したのが家光にとって初めての子である千代姫を産んだ側室:自証院(じしょういん:通称お振りの方)ですが、彼女はなんと三成の曾孫にあたります。
本当に三成が家康から天下の大罪人として嫌われていたのなら、その子孫を徳川の血族に加えることなどありえないと番組では語られます。

そしてこれらの事実は、家康が三成の才能というか才覚を認めていた証だと言うのです。
後に豊臣家を討つためにやむを得ず関ケ原の戦いの責任を一身に背負わせて斬首したものの、その実は、上記のように家康は三成を殺すには惜しい人物として認めていたと。

石田三成についての記録の中には、
佐和山で善政を敷いていたため領民から慕われ、三成の死後も佐和山の領民はその遺徳を偲んで、佐和山城付近に地蔵を築くなどしてその霊を慰めたという。 領内の古橋村が飢饉に襲われた時、年貢を免租したばかりか前記の通り村人たちを救うために米百石を分け与えたと言われる。古橋には当時、三成の母の菩提寺である法華寺があり、三成は手厚い保護を与えていたという。 『天元実記』には「三成は武道に名誉ある者であれば何をおいても召抱えた為、関が原における石田家の兵の働き、死に様は尋常ではなかった」と記されている。 『桃源遺事』によると、徳川光圀は「石田三成は憎い人物ではない。人はそれぞれ、その主君に尽くすのを義というのだ。たとえ敵でも、君のために尽くした者を悪く言うのは良くない。君臣ともそう心がけるべきだ」と言ったとされる。 恩顧を受けた人に対しては誠意をもって応える気概があり、『老人雑話』では「奉公人は主君より取物を残すべからず。残すは盗也。つかい過して借銭するは愚人也」と語ったという。三成は主君の負託に対しては精神的にも物質的にも全てを捧げるようにという信念を持っていた。また島清興や蒲生郷舎など名臣に恵まれていたのは、三成が人を遇する道を知っていたためである。 という記述も残るそうです。

「NHK大河ドラマ真田丸」第37回放送『信之』では、三成の正室:うたが、「あの方はただ豊臣家の事だけを考えていた。」と何度も連呼しながら、加藤清正に引き連れられて去ってゆきましたよね。
うたと三成は政略結婚による縁ではありません。戦国時代には極めて稀な恋愛結婚だそうです。
そのことだけをもってしても、私達は石田三成に対する認識を改めなければならないのかもしれませんね。

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関ケ原の戦いの後、斬首刑に処せられる石田三成

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