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〜真田丸:昌幸らを九度山から救うために信之が会った小野お通とは〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』第38回放送『昌幸』では、信之が何とか九度山に幽閉されている昌幸と信繁らを救い出したいと、家康を説得できる人物として北政所に願い出ようと考えますが、残念ながら北政所は、みかどや徳川の御使者以外には会おうとはしないと、矢沢三十郎は言います。
ですが三十郎は、京にかつて北政所の侍女たちの指南役をしていた小野お通という女性がいると語り、信之はこの女性に会う事になります。
小野お通とはどのような人物だったのでしょうか?
ドラマの中では当時は世に知られた才女であったことだけがナレーションで語られます。
ですがこの後の放送で彼女と信之が係るシーンがまたあることを匂わせる登場だけで今回の放送はとどめました。
しかし現時点で謎の彼女について、もっと詳しく知りたいと思うのが人情ですよね。
小野お通 - Wikipediaによれば、
小野お通は、詩歌・琴・書画など万藝に秀でた才女であったらしいのですが、その出自や経歴については諸説あり、謎多き女性として紹介されています。
大日本史料によると、美濃国の地侍・小野正秀の娘で、淀殿に仕えたとか、あるいは美作国津山城の東、押入下村の岸本彦兵衛の娘とする説や、九条稙通に和歌を学び、織田信長や豊臣秀吉、高台院に仕えたとする説、豊臣秀次の家人・塩川志摩守の妻となり一女を儲けたのち離別し、東福門院や新上東門院に仕えたとする説などがあるそうです。
特筆すべきはそんな彼女の墓が、真田氏ゆかりの広徳寺にあるということです。
また、真田信之はお通に思いを寄せていたという説がある。信之の正室・小松姫は晩年に、「そろそろ京の人を迎えてみてはどうですか?」とお通を側室にするよう勧めますが、結局信之はお通を側室に入れることはなく、お通の娘の宗鑑尼(そうかんに、? - 1679年・延宝7年12月18日没)は、信之の次男で信濃国松代藩第2代藩主・真田信政の側室となり、信就を生んだとされています。
更に前回のページにも関係するのですが、彼女は浄瑠璃の起源とされる『十二段草子』(『浄瑠璃物語』ともいう)の作者に擬せられてきました。
ですが、浄瑠璃はお通の生前15世紀半ばには成立していたと見られ、作者説は否定されている。また、『十二段草子』中編15本に曲節をつけた改作者とする説が有力になったこともあるものの、不特定多数の手になる語り物の性質上、作者や改作者を特定の人物に擬すことは疑問視されているそうです。
近世初期、新興の浄瑠璃(義太夫節)は賤(いや)しめられており、その対抗手段として、当時の権力者に近い才媛のお通が創作者に祭り上げられたと考えられるそうです。
となるとまたここで前回のページ内容に戻りますが、三谷さんはこの小野お通と現代の人形浄瑠璃(文楽:義太夫節は現代浄瑠璃の一派である)との係わりを知った上で、竹本義太夫なる武将を第38回放『昌幸』で登場させたのかもしれません。
ところで、次回の『NHK大河ドラマ 真田丸』では、信繁のお手付き女性やこのお通さんが真田兄弟に一波乱をもたらすお話が描かれると思われる予告編が放映されました。
英雄色を好むってやつですかね。
全くもっていけませんよ、兄弟揃って!
信之なんぞは稲姫に知られたなら、薙刀で一刀両断されかねないのに。
八木亜希子さん
八木 亜希子(やぎ あきこ、1965年6月24日 - )さんは、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスター、女優。フォニックス所属。元フジテレビアナウンサー。かながわ観光親善大使です。
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2016年09月27日
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〜真田丸:幽閉地の九度山での真田親子を監視する竹本義太夫の謎〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
今回は『NHK大河ドラマ 真田丸』をご覧の方にはどうでもいいお話かもしれません。
家康により流罪となった真田親子が九度山での幽閉となったおり、これを監視したのはこの地を領地とする浅野家でした。
『NHK大河ドラマ 真田丸』第38回放『昌幸』では、浅野家の使者として九度山の真田屋敷に竹本義太夫という武将が登場します。
この武将の登場のおりの映像には、わざわざ字幕で竹本義太夫の名が示されたのですから、さぞかし歴史に名のある紀州浅野家の家臣であろうと誰しも思うところでしょう。
ですが「紀州 竹本義太夫」「浅野家 竹本義太夫」といったワードでは、検索に該当する人物は見当たりません。
ただし、竹本義太夫という人物は歴史上に実在します。ですがその人物は武将ではなく、活躍したのも真田親子が九度山に幽閉されていた頃より半世紀後のことです。
歴史上に実在する「竹本義太夫」という人物は、1651年に摂津国天皇村の農家に生まれた浄瑠璃語り(太夫)です。
竹本義太夫は、貞享元年に大坂道頓堀に竹本座を開場し、近松門左衛門昨の「出世景清」という演目を上演、義太夫がこれを語りました。
これを機に義太夫と門左衛門が提携した演目が上演され、それまでの浄瑠璃にはない革新的なもので、これまでの浄瑠璃を「子浄瑠璃」と称し、義太夫らのそれを「新浄瑠璃」と呼ぶよになります。
そして現在の人形浄瑠璃文楽座は、この竹本義太夫が開祖とされているのです。
ということで、戦国時代の浅野家とは全く関係がありませんよね、おかしいです。
ですが紀州浅野家の家臣の中には竹本氏という存在は確かにあったことが、武士の先祖探し・家系図作成 〜作成中〜 和歌山県に記されています。
ではありますが、竹本義太夫という武将はみあたりません。
そこで「三谷幸喜 竹本」で検索してみると、三谷さんの交友関係を示す竹本千歳大夫 プロフィール - あのひと検索スパイシーには、現在の人形浄瑠璃文楽座の太夫:竹本千歳大夫という方がおられるのです。
ということは、第38回放『昌幸』で竹本義太夫役を演じたのはその縁戚かと思いきや、宮下誠という方で、この方がまた何者なのかがわからないのです。
宮下誠 - Wikipediaには、今は亡くなられている日本の美術史家の方がおられるのですが・・・・。 と言う訳で竹本義太夫という武将の謎は深まるばかりですが、単純に考えれば三谷さんが文楽好きで、三谷文楽なるものも演出されているようですから、竹本千歳大夫さんとの交友と浅野家家臣の竹本家を結び付けた(連想した)結果、竹本義太夫なる架空の武将をドラマに登場させたのかもしれません。
ですがもしも竹本義太夫が架空の人物なら、わざわざ字幕に名を紹介しないでほしい。と、私は思います。
どうでもいいお話で恐縮です。
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